学校紹介
鎌ケ谷市立第三中学校の学校紹介
【学校教育目標】
そもそも第三中学校のあるこの土地の周辺は、江戸時代には「小金中野牧」と呼ばれ、江戸幕府が管理する馬の放牧地でした。
このあたりには「入道溜」という地名が残っていますが、かつては水が溜まり、池ができている場所だったので、多くの馬たちが水を飲むために集まっていた場所でした。そして明治時代になると幕府の広大な放牧地であったこの土地の周辺では、一斉に開拓事業が始まりました。最初に開拓が入った土地には「初富」という地名がつき、このあたりの土地は皇室の土地(初富御料地)になった時期もあるなど由緒正しき歴史が残る土地です。
そんなこの地に昭和50年(1975年)4月、開校することになったのが第三中学校です。しかし当時は、校舎が完成していなかったため、鎌ケ谷中学校内のプレハブ校舎を間借りする形で教育活動がスタートします。同年12月5日、ようやくこの地に完成した「近代的な新校舎」に引っ越しをし、現在に至ります。
さて、開校時の本校はどのような学校だったのでしょうか?本校の歴史は「私たちの学校は私たちで創り出す」を合い言葉に、学校とPTA、地域が三位一体となって学校を創っていきました。当時の校庭には用地未買収の水田が3つあり「ボクは穴ぼこ中学校」という見出しで新聞に報道された事もありました。そのような苦難も三位一体となって乗り越えて、現在のような整った施設、学校へと整備されて現在に至ります。
【校木 三本欅について 】
これまで第三中学校の象徴として、子ども達を見守ってきた「三本欅」。
その歴史は開校から2年目を迎えた1976年(昭和51年)12月1日に遡ります。記念植樹された3本の欅は当時、校庭の北側に植樹されました。
そして開校から3年目を迎えた1977年(昭和52年)に初代内藤校長先生のお考えで、内藤先生の教え子でもあった岡﨑造園様の御奉仕により、校舎正面に三本並べて植え替えられました。同年12月5日の第三回創立記念日には、三中を象徴する校木として「命名式」が行われました。三本の木それぞれに「健康」「協力」「友情」の木と命名され、除幕式が挙行され、現在に至ります。
その他、創世記には三本欅を始めとする多くの樹木の寄贈、校庭の整地などPTAや地域の方々に献身的な御協力を頂きました。その後も、花壇整備や除草作業などPTAや地域の皆様に支えられて、今の第三中学校があるのです。
創世記に学校の礎を築いた教職員、PTAや地域の方々の願いが込められた三本の欅。これからも三本欅は、第三中学校と共に歴史を刻みながら、子ども達の成長を見守ってくれることでしょう。