春到来2春到来
四季の道の花壇に菜の花が満開。正門の桜が開花。
今日は何の日? 3/19
3月19日 カメラ発明記念日
1839年のこの日、フランスの画家・写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787〜1851年)が写真機を発明した。この写真機は発明者の名前をとって「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければならなかったが、大変な人気を集めた。ダゲレオタイプは銀メッキをした銅板などを感光材料として使うため、日本語では「銀板写真」とも呼ばれる。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者フランソワ・アラゴ(1786〜1853年)に新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益性を認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身年金を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。 鎌ケ谷阿波おどりを観てきました2
中部小の児童もおうちの方と見学に来ていました。本場の阿波おどりは、やっぱりカッコいいですね。
鎌ケ谷阿波おどりを観てきました
鎌ケ谷市役所の駐車場で、本場の阿波おどりが披露されました。あいにくの天気でしたが、踊り子さん方は、声を出して踊っていました。
明日は何の日? 3/18
3月18日 彼岸入り
「彼岸(ひがん)」とは、日本の「雑節」の一つで「お彼岸」とも呼ばれる。仏教に由来する行事とされ、3月の「春の彼岸」と9月の「秋の彼岸」がある。彼岸は、二十四節気の「春分(3月21日頃)」と「秋分(9月23日頃)」を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間であり、1年で計14日ある。この期間に行う仏教の行事を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、一般的にはこの期間に「お墓参り」をする。彼岸の最初の日を「彼岸入り」や「お彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」や「お彼岸の明け」などと呼ぶ。なお、中日の「春分」は「春分の日」、「秋分」は「秋分の日」として国民の祝日となっている。2023年(令和5年)の「春の彼岸」の日付は以下の通り。 • 3月18日(土)彼岸入り • 3月19日(日) • 3月20日(月) • 3月21日(火)中日(春分) • 3月22日(水) • 3月23日(木) • 3月24日(金)彼岸明け 日本では彼岸に供え物として、もち米とあんこを使用した「ぼた餅」や「おはぎ」と呼ばれる食べ物が作られ、食される。これらの名前は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)に由来すると言われる。日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がある。これは「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)は彼岸の頃まで続き、彼岸を過ぎると和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味である。彼岸に由来する花として「ヒガンバナ(彼岸花)」がある。ヒガンバナは、ヒガンバナ科の多年草で、鮮やかな赤い花を咲かせる。地下の球根には強い毒性がある有毒植物であるが、かつては飢饉(ききん)や災害の際に食べる救荒(きゅうこう)作物として球根のデンプンを毒抜きして食べていた。 点字ブロックの日 岡山県岡山市中区に本部を置き、「自助自立と相互扶助」の理念を基本として設立された社会福祉法人・岡山県視覚障害者協会が2010年(平成22年)に制定。視覚障害者の安全な歩行を助ける点字ブロック(正式名称:視覚障害者誘導用ブロック)。この点字ブロックが世界で初めて岡山市中区の岡山県立岡山盲学校の近くの原尾島交差点に敷設されたのが1967年(昭和42年)3月18日のこと。点字ブロックの安全性の確保と発展を目指して記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。原尾島交差点は国道250号(当時:国道2号)にあり、岡山盲学校の生徒が登下校の際に利用していた。その交差点の横断歩道に230枚の点字ブロックが敷設されたのをきっかけに、点字ブロックは各地に徐々に広まっていった。その交差点の緑地帯の一角には「点字ブロック発祥の地」の石碑が建てられている。その他、「当時の点字ブロック」のサンプルや「点字ブロック完成の歴史」を記した副碑、近くの歩道上には「点字ブロック世界初敷設場所」と記した石版も設置されている。 卒業証書授与式 校長式辞明日は何の日? 3/17
3月17日 漫画週刊誌の日
1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された。『週刊少年マガジン』は、講談社が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は木曜日発売で定価は40円であった。その当時のキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」で、主力作品は連続小説が大半を占めていた。最初はヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし、1965年(昭和40年)のちばてつや「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年(昭和42年)1月にはついに100万部を突破した。『週刊少年サンデー』は、小学館が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は火曜日発売で定価はマガジンよりも安い30円であった。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長・豊田亀市が名付けた。創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。創刊号のラインアップは手塚治虫「スリル博士」、横山隆一「宇宙少年トンダー」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、藤子不二雄「海の王子」、益子かつみ「南蛮小天狗」であった。創刊号の売上げはサンデーが30万部、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。 みんなで考えるSDGsの日 東京都中央区銀座に本社を置き、広報活動の支援や代行、コンサルティングなどを行う共同ピーアール株式会社の総合研究所(PR総研)が制定。国連が定めた「持続可能な開発目標」である「SDGs(Sustainable Development Goals)」についての様々な企業の取り組みをより多くの人に伝えることが目的。また、企業だけでなくひとり一人がSDGsについて考える日にとの思いも込められている。日付はSDGsに持続可能な世界を実現するために掲げられている17のゴール(目標)から「みんな(3)」で「17」のゴールを実現しようという意気込みで3月17日に。記念日は2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 卒業証書授与式準備完了
児童・教職員のみんなで準備した式場。準備は整いました。
6年生の教室4組
明日、教室で過ごす最後の日。
6年生の教室3組
廊下には、下級生からのメッセージが書かれたものが掲示されています。
6年生の教室2組
机の上には、卒業記念品が置かれています。
6年生の教室1組
教室にはきれいに掃除されていました。
明日は何の日? 3/16
3月16日 国立公園指定記念日
1934年(昭和9年)のこの日、内務省が、瀬戸内海・雲仙・霧島の3ヵ所を国立公園に指定し、日本初の「国立公園」(national park)が誕生した。これよりも前の1932年(昭和7年)10月8日、前年1931年(昭和6年)に施行された「国立公園法」(自然公園法の前身)に基づいて、国定公園12ヵ所(大雪山・阿寒・十和田・日光・富士・日本アルプス・吉野熊野・瀬戸内海・伯耆大山・阿蘇・雲仙・霧島)が選定されており、10月8日は「国立公園制定記念日」となっている。また、「自然公園法」は1957年(昭和32年)7月21日に制定され、7月21日は「自然公園の日」となっている。国立公園は日本の風景を代表する自然の景勝地であり、自然公園法に基づき、その保護と利用促進を図る目的で環境大臣が指定した自然公園である。国定公園が都道府県に管理を委託されるのに対し、国立公園は国(環境省)自らが管理する。日本の国立公園の面積の約60%が国有地である。2020年(令和2年)3月時点では34ヵ所の国立公園が存在する。 明日は何の日? 3/15
3月15日 靴の日・靴の記念日
日本靴連盟が1932年(昭和7年)に制定。1870年(明治3年)のこの日、実業家・西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。記念日の名称は「靴の日」または「靴の記念日」の表記が見られる。ヨーロッパの洋靴「西洋草履」が日本に入って来たのは幕末だったが、日本人の足には合いにくいものだった。伊勢勝造靴場は、日本陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作るために開設された。造靴場のあった東京都中央区入船三丁目には「靴業発祥の地」の記念碑が同連盟により建てられている。碑文にある「兵部大輔」(ひょうぶたいふ)とは、かつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関「兵部省」の官職で、今の次官に相当する。大村益次郎は初代の兵部大輔を務めた。また、碑文には伊勢勝造靴場のあったこの地が日本における製靴産業の原点であると記されている。 万国博デー 1970年(昭和45年)のこの日、前日に開幕式が行われた大阪府吹田市千里丘陵の「日本 万国博覧会」(大阪万博)の一般入場が開始された。大阪万博の開催期間は3月15日〜9月13日の約6ヵ月、183日間。アジア初かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。主催は、財団法人・日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子・明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣・佐藤栄作。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。日本においては1964年(昭和39年)の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や鉄道、地下鉄建設など大規模開発が進められた。万博の会場面積は330ha、総入場者数は約6421万人(うち外国人は約170万人)であった。テーマ館の一部として芸術家・岡本太郎意匠による「太陽の塔」が作られた。塔は現在も残されている。 明日は何の日? 3/14
3月14日 ホワイトデー
2月14日の「バレンタインデー」にチョコレートなどを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対して、キャンデーやマシュマロ、ホワイトチョコレートなどをお返しするのが一般的になっている。日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和40年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデーなどを「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。 この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。そして、1978年(昭和53年)に全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980年(昭和55年)に第1回の「ホワイトデー」が開催された。ホワイトデーを3月14日に定めたのは、西暦269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにバレンタイン司教が殉教したが、その1ヵ月後の3月14日に、その2人は改めて永遠の愛を誓い合ったとされていることや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる日が3月14日前後とされていることに由来する。 今日は何の日? 3/13
3月13日 新選組の日
新選組にゆかりのある東京都日野市のNPO(特定非営利活動)法人・日野市観光協会が制定。1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。 今日は何の日? 3/12
3月12日 スイーツの日
東京都目黒区自由が丘に本社を置き、スイーツを取り扱うWebマガジンを発行する株式会社スーパースイーツが2008年(平成20年)に制定。日付は「ス(three=3)イ(1)ーツ(two=2)」と読む語呂合わせから。お菓子の魅力をより多くの人に広めることが目的。同社は、2006年(平成18年)11月にサイバーエージェントの子会社として設立されたが、2008年5月に収益の伸びが難しいとの判断で解散し、エコールアッシュ社に営業資産の譲渡を行った。その後、エコールアッシュがスーパースイーツに社名を変更しており、現在はサイバーエージェントとの資本関係はない。カリスマパティシエと言われる辻口博啓が発起人・代表となり、スイーツと取り巻くライフスタイルを提案する会社として再スタートしている。スイーツの商品開発・監修、イベント出演・講演、メディア協力、コンサルティングなどを行っている。 今日は何の日? 3/11
3月11日 いのちの日
「災害時医療を考える会」が制定。2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的。災害時医療の改善を図るとともに、9月1日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心にシンポジウムの開催や標語の募集などが行われる。同会は、東日本大震災の際に自ら被災地に向けて、心と体の健康回復に関して何らかのアクションを起こした医療者、ジャーナリスト、政治家、大学教員、災害ボランティアなどで構成されている。災害において医療に関係する問題を解決するために、何ができるのかを考える人たちの会である。 防災意識を育てる日 インターネットテレビやFMラジオ局を運営し、東京・渋谷の「今」と「これから」を世界へ発信する株式会社渋谷クロスFMが制定。日本で全国的な防災訓練が行われるのは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災に由来する9月1日の「防災の日」である。しかし、この防災訓練は台風シーズンと重なることから中止となることもある。そこで、どの世代にも記憶に新しい2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の日に、その経験を風化させないためにも、震災で得た教訓を次の世代につないでいき、家族や職場などで防災について話し合い、行動してもらうことを目的にこの記念日が制定された。同社は毎年、この日に防災特別番組を放送し、被災地へのボランティア活動も積極的に行っている。記念日は2021年(令和3年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。その後、この記念日は同社の代表取締役社長で防災士の江崎洋幸氏が継承している。大きな柱は「地域防災への意識づけ」と「インディーズミュージシャンの応援」であり、渋谷の地域情報や防災情報、渋谷のカルチャーなどを発信する。放送時間は12時から23時で、FM放送のほか、Webサイトのストリーミング配信でも視聴可能である。 今日は何の日? 3/10
3月10日 東海道・山陽新幹線全通記念日
1975年(昭和50年)のこの日、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズのもと、山陽新幹線・岡山駅〜博多駅間が延伸開業し、山陽新幹線が全線開業した。これに伴い、東京駅〜博多駅間の新幹線が全線開通した。新大阪駅を境に東側の東京駅〜新大阪駅間が東海道新幹線(515.4km)、西側の新大阪駅〜博多駅間が山陽新幹線(553.7km)で、総延長は1069.1km、運賃を計算する際に使用する営業キロは1174.9kmである。直通列車は定期列車だけで「のぞみ」(東京駅〜広島駅・博多駅間)が毎時3本、「ひかり」(東京駅〜岡山駅間)が毎時1本運行されている。かつては「こだま」も定期直通運転が行われていたが、1999年(平成11年)に終了している。全線開通した1975年当時、東京駅〜博多駅間の所要時間は6時間56分であった。現在の所要時間は、東京駅〜博多駅間が平均5時間4〜9分、東京駅〜新大阪駅間が平均2時間30分である。最も速い「のぞみ」は、2016年(平成28年)12月時点で東京駅〜博多駅間を4時間46分で走る。 たけのこの里の日 東京都中央区京橋に本社を置き、チョコレート菓子「たけのこの里」を発売する株式会社明治が制定。日付は「たけのこ」の旬が3月からで、また「さ(3)と(10)」(里)と読む語呂合わせから3月10日に。1979年(昭和54年)の発売以来、チョコレートとクッキーを組み合わせた絶妙な食感と美味しさで愛されてきた「たけのこの里」から、多くのファンに感謝の気持ちを伝える日。記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。姉妹品でありライバル商品でもある「きのこの山」の記念日は8月11日で「きのこの山の日」となっている。「たけのこの里」は、カカオの香り引き立つコクのあるチョコレートとミルクでまろやかに仕上げたチョコレート、2つを合わせたチョコレートとサクサクの味わいクッキーが美味しさのポイント。いつ食べても「ふるさと」のようにほっとできるチョコレート菓子として、長く愛されている。大定番の「たけのこの里」の他にも、甘さひかえめでカカオの旨みが楽しめる「大人のたけのこの里」や、練乳ミルクのコクと甘酸っぱいいちごチョコを組み合わせた「たけのこの里 練乳いちご味」などがある。 |
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