明日は何の日? 3/18
3月18日 彼岸入り
「彼岸(ひがん)」とは、日本の「雑節」の一つで「お彼岸」とも呼ばれる。仏教に由来する行事とされ、3月の「春の彼岸」と9月の「秋の彼岸」がある。彼岸は、二十四節気の「春分(3月21日頃)」と「秋分(9月23日頃)」を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間であり、1年で計14日ある。この期間に行う仏教の行事を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、一般的にはこの期間に「お墓参り」をする。彼岸の最初の日を「彼岸入り」や「お彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」や「お彼岸の明け」などと呼ぶ。なお、中日の「春分」は「春分の日」、「秋分」は「秋分の日」として国民の祝日となっている。2023年(令和5年)の「春の彼岸」の日付は以下の通り。 • 3月18日(土)彼岸入り • 3月19日(日) • 3月20日(月) • 3月21日(火)中日(春分) • 3月22日(水) • 3月23日(木) • 3月24日(金)彼岸明け 日本では彼岸に供え物として、もち米とあんこを使用した「ぼた餅」や「おはぎ」と呼ばれる食べ物が作られ、食される。これらの名前は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)に由来すると言われる。日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がある。これは「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)は彼岸の頃まで続き、彼岸を過ぎると和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味である。彼岸に由来する花として「ヒガンバナ(彼岸花)」がある。ヒガンバナは、ヒガンバナ科の多年草で、鮮やかな赤い花を咲かせる。地下の球根には強い毒性がある有毒植物であるが、かつては飢饉(ききん)や災害の際に食べる救荒(きゅうこう)作物として球根のデンプンを毒抜きして食べていた。 点字ブロックの日 岡山県岡山市中区に本部を置き、「自助自立と相互扶助」の理念を基本として設立された社会福祉法人・岡山県視覚障害者協会が2010年(平成22年)に制定。視覚障害者の安全な歩行を助ける点字ブロック(正式名称:視覚障害者誘導用ブロック)。この点字ブロックが世界で初めて岡山市中区の岡山県立岡山盲学校の近くの原尾島交差点に敷設されたのが1967年(昭和42年)3月18日のこと。点字ブロックの安全性の確保と発展を目指して記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。原尾島交差点は国道250号(当時:国道2号)にあり、岡山盲学校の生徒が登下校の際に利用していた。その交差点の横断歩道に230枚の点字ブロックが敷設されたのをきっかけに、点字ブロックは各地に徐々に広まっていった。その交差点の緑地帯の一角には「点字ブロック発祥の地」の石碑が建てられている。その他、「当時の点字ブロック」のサンプルや「点字ブロック完成の歴史」を記した副碑、近くの歩道上には「点字ブロック世界初敷設場所」と記した石版も設置されている。 卒業証書授与式 校長式辞明日は何の日? 3/17
3月17日 漫画週刊誌の日
1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された。『週刊少年マガジン』は、講談社が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は木曜日発売で定価は40円であった。その当時のキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」で、主力作品は連続小説が大半を占めていた。最初はヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし、1965年(昭和40年)のちばてつや「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年(昭和42年)1月にはついに100万部を突破した。『週刊少年サンデー』は、小学館が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は火曜日発売で定価はマガジンよりも安い30円であった。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長・豊田亀市が名付けた。創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。創刊号のラインアップは手塚治虫「スリル博士」、横山隆一「宇宙少年トンダー」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、藤子不二雄「海の王子」、益子かつみ「南蛮小天狗」であった。創刊号の売上げはサンデーが30万部、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。 みんなで考えるSDGsの日 東京都中央区銀座に本社を置き、広報活動の支援や代行、コンサルティングなどを行う共同ピーアール株式会社の総合研究所(PR総研)が制定。国連が定めた「持続可能な開発目標」である「SDGs(Sustainable Development Goals)」についての様々な企業の取り組みをより多くの人に伝えることが目的。また、企業だけでなくひとり一人がSDGsについて考える日にとの思いも込められている。日付はSDGsに持続可能な世界を実現するために掲げられている17のゴール(目標)から「みんな(3)」で「17」のゴールを実現しようという意気込みで3月17日に。記念日は2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 卒業証書授与式準備完了
児童・教職員のみんなで準備した式場。準備は整いました。
6年生の教室4組
明日、教室で過ごす最後の日。
6年生の教室3組
廊下には、下級生からのメッセージが書かれたものが掲示されています。
6年生の教室2組
机の上には、卒業記念品が置かれています。
6年生の教室1組
教室にはきれいに掃除されていました。
明日は何の日? 3/16
3月16日 国立公園指定記念日
1934年(昭和9年)のこの日、内務省が、瀬戸内海・雲仙・霧島の3ヵ所を国立公園に指定し、日本初の「国立公園」(national park)が誕生した。これよりも前の1932年(昭和7年)10月8日、前年1931年(昭和6年)に施行された「国立公園法」(自然公園法の前身)に基づいて、国定公園12ヵ所(大雪山・阿寒・十和田・日光・富士・日本アルプス・吉野熊野・瀬戸内海・伯耆大山・阿蘇・雲仙・霧島)が選定されており、10月8日は「国立公園制定記念日」となっている。また、「自然公園法」は1957年(昭和32年)7月21日に制定され、7月21日は「自然公園の日」となっている。国立公園は日本の風景を代表する自然の景勝地であり、自然公園法に基づき、その保護と利用促進を図る目的で環境大臣が指定した自然公園である。国定公園が都道府県に管理を委託されるのに対し、国立公園は国(環境省)自らが管理する。日本の国立公園の面積の約60%が国有地である。2020年(令和2年)3月時点では34ヵ所の国立公園が存在する。 明日は何の日? 3/15
3月15日 靴の日・靴の記念日
日本靴連盟が1932年(昭和7年)に制定。1870年(明治3年)のこの日、実業家・西村勝三が、東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した。記念日の名称は「靴の日」または「靴の記念日」の表記が見られる。ヨーロッパの洋靴「西洋草履」が日本に入って来たのは幕末だったが、日本人の足には合いにくいものだった。伊勢勝造靴場は、日本陸軍の創始者・大村益次郎の提案によるもので、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作るために開設された。造靴場のあった東京都中央区入船三丁目には「靴業発祥の地」の記念碑が同連盟により建てられている。碑文にある「兵部大輔」(ひょうぶたいふ)とは、かつて日本にあった軍政(国防)を司る行政機関「兵部省」の官職で、今の次官に相当する。大村益次郎は初代の兵部大輔を務めた。また、碑文には伊勢勝造靴場のあったこの地が日本における製靴産業の原点であると記されている。 万国博デー 1970年(昭和45年)のこの日、前日に開幕式が行われた大阪府吹田市千里丘陵の「日本 万国博覧会」(大阪万博)の一般入場が開始された。大阪万博の開催期間は3月15日〜9月13日の約6ヵ月、183日間。アジア初かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。主催は、財団法人・日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子・明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣・佐藤栄作。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。日本においては1964年(昭和39年)の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や鉄道、地下鉄建設など大規模開発が進められた。万博の会場面積は330ha、総入場者数は約6421万人(うち外国人は約170万人)であった。テーマ館の一部として芸術家・岡本太郎意匠による「太陽の塔」が作られた。塔は現在も残されている。 明日は何の日? 3/14
3月14日 ホワイトデー
2月14日の「バレンタインデー」にチョコレートなどを贈られた男性が、返礼のプレゼントをする日。バレンタインデーのチョコレートに対して、キャンデーやマシュマロ、ホワイトチョコレートなどをお返しするのが一般的になっている。日本でバレンタインデーが定着するに従って、若い世代の間でそれにお返しをしようという風潮が生まれた。これを受けたお菓子業界では昭和40年代に入ってから、個々に独自の日を定めて、マシュマロやクッキー、キャンデーなどを「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。 この動きをキャンデーの販売促進に結びつけ、全国飴菓子工業協同組合(全飴協)関東地区部会がホワイトデーとして催事化した。そして、1978年(昭和53年)に全飴協の総会で「キャンデーを贈る日」として制定され、2年の準備期間を経て1980年(昭和55年)に第1回の「ホワイトデー」が開催された。ホワイトデーを3月14日に定めたのは、西暦269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにバレンタイン司教が殉教したが、その1ヵ月後の3月14日に、その2人は改めて永遠の愛を誓い合ったとされていることや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる日が3月14日前後とされていることに由来する。 今日は何の日? 3/13
3月13日 新選組の日
新選組にゆかりのある東京都日野市のNPO(特定非営利活動)法人・日野市観光協会が制定。1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。 今日は何の日? 3/12
3月12日 スイーツの日
東京都目黒区自由が丘に本社を置き、スイーツを取り扱うWebマガジンを発行する株式会社スーパースイーツが2008年(平成20年)に制定。日付は「ス(three=3)イ(1)ーツ(two=2)」と読む語呂合わせから。お菓子の魅力をより多くの人に広めることが目的。同社は、2006年(平成18年)11月にサイバーエージェントの子会社として設立されたが、2008年5月に収益の伸びが難しいとの判断で解散し、エコールアッシュ社に営業資産の譲渡を行った。その後、エコールアッシュがスーパースイーツに社名を変更しており、現在はサイバーエージェントとの資本関係はない。カリスマパティシエと言われる辻口博啓が発起人・代表となり、スイーツと取り巻くライフスタイルを提案する会社として再スタートしている。スイーツの商品開発・監修、イベント出演・講演、メディア協力、コンサルティングなどを行っている。 今日は何の日? 3/11
3月11日 いのちの日
「災害時医療を考える会」が制定。2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的。災害時医療の改善を図るとともに、9月1日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心にシンポジウムの開催や標語の募集などが行われる。同会は、東日本大震災の際に自ら被災地に向けて、心と体の健康回復に関して何らかのアクションを起こした医療者、ジャーナリスト、政治家、大学教員、災害ボランティアなどで構成されている。災害において医療に関係する問題を解決するために、何ができるのかを考える人たちの会である。 防災意識を育てる日 インターネットテレビやFMラジオ局を運営し、東京・渋谷の「今」と「これから」を世界へ発信する株式会社渋谷クロスFMが制定。日本で全国的な防災訓練が行われるのは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災に由来する9月1日の「防災の日」である。しかし、この防災訓練は台風シーズンと重なることから中止となることもある。そこで、どの世代にも記憶に新しい2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の日に、その経験を風化させないためにも、震災で得た教訓を次の世代につないでいき、家族や職場などで防災について話し合い、行動してもらうことを目的にこの記念日が制定された。同社は毎年、この日に防災特別番組を放送し、被災地へのボランティア活動も積極的に行っている。記念日は2021年(令和3年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。その後、この記念日は同社の代表取締役社長で防災士の江崎洋幸氏が継承している。大きな柱は「地域防災への意識づけ」と「インディーズミュージシャンの応援」であり、渋谷の地域情報や防災情報、渋谷のカルチャーなどを発信する。放送時間は12時から23時で、FM放送のほか、Webサイトのストリーミング配信でも視聴可能である。 今日は何の日? 3/10
3月10日 東海道・山陽新幹線全通記念日
1975年(昭和50年)のこの日、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズのもと、山陽新幹線・岡山駅〜博多駅間が延伸開業し、山陽新幹線が全線開業した。これに伴い、東京駅〜博多駅間の新幹線が全線開通した。新大阪駅を境に東側の東京駅〜新大阪駅間が東海道新幹線(515.4km)、西側の新大阪駅〜博多駅間が山陽新幹線(553.7km)で、総延長は1069.1km、運賃を計算する際に使用する営業キロは1174.9kmである。直通列車は定期列車だけで「のぞみ」(東京駅〜広島駅・博多駅間)が毎時3本、「ひかり」(東京駅〜岡山駅間)が毎時1本運行されている。かつては「こだま」も定期直通運転が行われていたが、1999年(平成11年)に終了している。全線開通した1975年当時、東京駅〜博多駅間の所要時間は6時間56分であった。現在の所要時間は、東京駅〜博多駅間が平均5時間4〜9分、東京駅〜新大阪駅間が平均2時間30分である。最も速い「のぞみ」は、2016年(平成28年)12月時点で東京駅〜博多駅間を4時間46分で走る。 たけのこの里の日 東京都中央区京橋に本社を置き、チョコレート菓子「たけのこの里」を発売する株式会社明治が制定。日付は「たけのこ」の旬が3月からで、また「さ(3)と(10)」(里)と読む語呂合わせから3月10日に。1979年(昭和54年)の発売以来、チョコレートとクッキーを組み合わせた絶妙な食感と美味しさで愛されてきた「たけのこの里」から、多くのファンに感謝の気持ちを伝える日。記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。姉妹品でありライバル商品でもある「きのこの山」の記念日は8月11日で「きのこの山の日」となっている。「たけのこの里」は、カカオの香り引き立つコクのあるチョコレートとミルクでまろやかに仕上げたチョコレート、2つを合わせたチョコレートとサクサクの味わいクッキーが美味しさのポイント。いつ食べても「ふるさと」のようにほっとできるチョコレート菓子として、長く愛されている。大定番の「たけのこの里」の他にも、甘さひかえめでカカオの旨みが楽しめる「大人のたけのこの里」や、練乳ミルクのコクと甘酸っぱいいちごチョコを組み合わせた「たけのこの里 練乳いちご味」などがある。 今日は何の日? 3/9
3月9日 記念切手記念日
1894年(明治27年)のこの日、日本最初の記念切手が発行された。明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年(銀婚)を記念して発行され、菊の紋章に雌雄の鶴2羽が描かれたデザインで、紅色で内地用(内国用封書用)の2銭と青色で外地用(外国用封書用)の5銭の2種類だった。当時、日本には記念切手の概念がなく、銀婚の祝典を記念する切手を望んだ在留外国人の新聞投書によって政府が動き、時の逓信大臣・黒田清隆の命で急きょ発行されることとなったものである。「記念切手」とは、郵便局や販売期間、枚数に定めのない「普通切手」とは異なり一定枚数のみ印刷され、場合によっては販売される郵便局や販売期間、郵便に使用できる期間までも制限されるのが特徴である。同様な切手としてキャンペーンや文化財の紹介国家的宣伝などの意図をもって発行される「特殊切手」があるほか、ふるさと振興を目的に発行された「ふるさと切手」、年賀郵便に使用される目的の「年賀切手」などもある。 関門国道トンネル開通記念日(3月9日 記念日) 1958年(昭和33年)のこの日、山口県下関市と福岡県北九州市門司区を結ぶ海底道路トンネルである関門国道トンネルが開通した。全長は3461メートル、海底部分は780メートル。トンネル内は片側1車線の2車線道路。工期は21年で総工費は当時の金額で約57億円だった。関門海峡(早鞆の瀬戸)の海底下で貫通するトンネルは3本あり、1942年(昭和17)に鉄道用の「関門鉄道トンネル」が、1975年(昭和50年)に新幹線用の「新関門トンネル」が開通している。また、1973年(昭和48年)に関門海峡を跨ぐ高速道路の「関門橋」が開通している。関門国道トンネルは、国道2号の有料の海底道路トンネルで、料金は普通車150円、軽自動車100円である。また、徒歩でも通行できる人道トンネルも併設されており、料金は歩行者無料、軽車両(自転車・原付)は20円で、軽車両は押して歩く必要がある。人道は両端とも国道2号に接続していないが、国道2号車道に対する自転車歩行者道の扱いであり、人道も国道2号に指定されている。トンネルは二重構造になっていて、上が車、下が人道となっている。世界初の海底道路トンネルの誕生は、本州から九州まで徒歩でも渡れるという話題性もあり全国から観光客が集まり、散歩を楽しんだと言われる。 ビオトープ進捗状況
4年生の子どもたちが休み時間に手伝ってくれています。
土を入れ、どんどん完成に近づいています。 今日は何の日? 3/7
3月7日 消防記念日
1948年(昭和23年)のこの日、日本の消防の任務範囲、消防責任を市町村が負うこと、消防機関の構成などを規定した「消防組織法」が施行された。明治以来、消防は警察の所管とされていたが、これにより条例に従って市町村長が消防を管理する「自治体消防制度」となり、各市町村に消防本部・消防署・消防団の全部または一部を設置することが義務付けられた。これを記念し、2年後の1950年(昭和25年)2月9日、国家消防庁(現:総務省消防庁)がこの日を「消防記念日」に制定した。広く消防関係職員及び住民の人々に「自らの地域を自らの手で火災その他の災害から守る」ということへの理解と認識を深めてもらうことを目的としている。この日は「春季全国火災予防運動」(3月1日〜7日)の最終日でもあり、全国の消防本部などにおいて、消防訓練や記念式典、消防防災功労者に対する表彰、消防のPR活動など、様々な消防関係行事が行われる。また、2018年(平成30年)に「消防組織法」が施行されて70周年を迎え、これを記念した式典や事業が開催された。 十歳の祝いの日 「十歳の祝いの日」(ととせのいわいのひ)は、10歳の節目を迎える子どもたちの健全な成長を願い、未来像を描いてもらう日をと、京都市下京区に事務局を置く「十歳(ととせ)の祝い普及促進協議会」が制定。日付は3月は年度替わりの月で、対象の子どもの多くが10歳を迎え終わることと、3と7を足すと10になることから。七五三のような子どもの成長を祝う行事である10歳の「二分の一成人式」「立志式」にならい、通過儀礼の一つとして和装・洋装の晴れ着を着る機会の提供、親子の絆、地域で子どもを見守る風土の醸成などが目的。十歳を「ととせ」と読むことで日本らしさ、祝いの日らしさを表現している。記念日は2012年(平成24年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 「十歳の祝い」について 10歳の年に「二分の一成人式」を開催する学校や地方自体が増えている。その起源は、重い病気に罹っていて、とても20歳は迎えられないのではないかと思われる子どもを持ったご両親が、10歳の時に成人式をやってあげようという、「親心」のこもったものと言われている。このような動きは、東京の国立教育政策研究所によると、10年ほど前から、都内の学校で行われるようになり、その後国語の教科書に取り上げられ、全国各地の学校に広がったとされている。 今日は何の日? 3/6
3月6日 世界一周記念日
1967年(昭和42年)のこの日、日本航空の世界一周西回り路線が営業を開始した。記念すべき第1便は12時30分に小雨の羽田空港を出発した。それまでは日米航空協定により、日本の航空会社は世界一周路線を持てなかった。日本航空の世界一周はアジアの航空会社としても初の世界一周路線だった。また、日本の航空会社として唯一の世界一周路線だった。世界一周路線とは、単一の航空会社により出発地となる空港から出発して地球を一周し、再び出発地に戻る定期路線のこと。1972年(昭和47年)に廃止されるまでの5年間、東京→香港→バンコク→ニューデリー→テヘラン→カイロ→ローマ→フランクフルトまたはパリ→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコ→ホノルル→東京という路線で運行していた。廃止された理由は大西洋路線が不振だったことに加え、1972年に日本航空が連続航空事故を引き起こし、国際路線用のDC-8型機を3機失い運航可能な機材が減少したからである。2015年(平成27年)現在、日本に世界一周路線は存在しないが、乗り継ぎ路線での世界一周は可能である。 今日は何の日? 3/5
3月5日 スチュワーデスの日
1931年(昭和6年)のこの日、東京航空輸送社(後に大日本航空に吸収)が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された。「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われた。140人の応募に対し、合格者は3人だった。その3人は東京−下田−清水間の定期旅客路線に新卒として採用された。「スチュワーデス」とは、旅客機に乗り込み接客サービスを行う女性客室乗務員のことで、船舶の司厨員に由来する「スチュワード(steward)」の女性の呼称である。 現在では、テレビドラマなどの影響もあり、性差のない語である「キャビンアテンダント」または「CA(シーエー)」と呼ばれることが多い。ただし、「cabin attendant」は和製英語で、英語では「フライトアテンダント(flight attendant)」あるいは集合名詞「キャビンクルー(cabin crew)」と呼ばれる。これに伴い、日本語訳では「客室乗務員」という言葉が正式とされるようになった。客室乗務員の新卒採用倍率は数十倍は当たり前の人気職業であり、なるための難易度は高い。客室乗務員になるためには、実践的な英語を含む語学力、容姿、学歴、マナー、教養、体力など総合的な能力が求められる。また、客室乗務員専用の制服はデザイン性も高く、その制服に憧れを持つ人も多い。 |
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