今年度も残りわずかになりました。しっかりと学年のまとめをして進級に備えましょう!

明日は何の日? 2/4

2月4日 立春
 「立春(りっしゅん)」は、「二十四節気」の一つで第1番目にあたる。現在広まっている定気法では太陽黄経が315度のときで2月4日頃。「立春」の日付は、近年では2月4日になることが多いが、2月3日になることもある。2023年(令和5年)は2月4日(土)である。「立春」の一つ前の節気は「大寒」(1月20日頃)、一つ後の節気は「雨水」(2月19日頃)。「立春」には期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「雨水」前日までである。また、「冬至」(12月22日頃)と「春分」(3月21日頃)の中間にあたり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合は、この日から「立夏」(5月5日頃)の前日までが「春」となる。冬の終わり・春の始まりを意味し、春の気配が立ち始める日という意味で「立春」とされる。江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧(べんらん)』には「春の気立つを以って也」と記されている。この日「立春」の前日が雑節の「節分」となる。九州など暖かい地方では梅が咲き始める。日本列島南岸を発達しながら東に進んでいく南岸低気圧の発生も「立春」を境に多くなる。「立春」から「春分」の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を「春一番」と呼ぶ。「立春」は雑節の起算日(第1日目)で、この日から数えて88日目を「八十八夜」(5月2日頃)、210日目を「二百十日」(9月1日頃)、220日目を「二百二十日」(9月11日頃)などとして、様々な行事が行われる。桜の開花時期は、「立春」からの最高気温の合計が540度という概算法がある。その他に、「元日」の1月1日からの平均気温の合計が600度、2月1日からの最高気温の合計が600度という方法もある。

明日は何の日? 2/3

2月3日 節分
 季節の移り変わりの目安となる「雑節」の一つ。「立春」(2月4日頃)の前日で、「大寒」(1月20日頃)から約15日目にあたる。冬の節が終わり、春の節に移る。この時期だけでなく、本来は「立夏」(5月5日頃)、「立秋」(8月7日頃)、「立冬」(11月7日頃)の前日をそれぞれ「節分」という。太陰暦(太陰太陽暦)では「立春」を年の初めと定めており、「立春」の前日すなわち「大寒」の最後の日にあたるこの「節分」を特に重視した。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていたため、それを追い払う意味で「豆まき」が行われる。一般的には「福は内、鬼は外」と声を出しながら豆をまき、年齢の数だけ豆を食べ厄除けを行う。また、この日に「恵方巻(えほうまき)」を恵方を向いて食べると縁起が良いとされている。2023年の恵方は「南南東のやや南」となる。この習慣はもともと大阪を中心として発祥したものである。「恵方巻」という名称は、1998年(平成10年)にコンビニのセブン-イレブンが全国発売にあたり商品名に「丸かぶり寿司 恵方巻」と採用したことにより、2000年代以降に急速に広まった。

 のり巻きの日
 全国海苔貝類漁業協同組合連合会が1987年(昭和62年)に制定。「節分の日」(2月3日頃)の夜にその年の恵方(縁起のよい方向)を向いてのり巻きを食べると幸せになるという言い伝えにちなんだもの。のり巻きを食べる風習は江戸時代の後期に生まれた。

明日は何の日? 2/2

2月2日 世界湿地の日
 1997年(平成9年)に制定。英語表記は「World Wetlands Day」。「世界湿地デー」ともされる。1971年(昭和46年)のこの日、湿地の保存に関する「ラムサール条約」が調印された。この日には、湿地の恩恵や価値に目を向け、その維持と賢明な利用を達成するという条約の目的のため、自然観察会や講演会などのイベントが世界中で開催される。ラムサール条約事務局では毎年「世界湿地の日」のテーマを定めており、2008年(平成20年)のテーマは「健康な湿地、健康な人々」であった。健康な湿地を維持することにより、食物や清潔な水、医薬品の供給など、人の健康に好適な影響がもたらされる一方で、湿地の管理が不適切だと、水の汚染や水に関係する疾病の発生、泥炭地の火事、洪水など、人の健康にとどまらず命さえも奪うような負の効果をもたらしかねない。これらを人々に紹介するものである。

明日は何の日? 2/1

2月1日 重ね正月・一夜正月
 厄年(やくどし)の人のための2回目の正月。厄年の人が「年かさね」と称して、この日を2回目の元日として仮にひとつ歳をとらせ、厄年を早くやり過ごそうとする風習である。厄年とは、厄災が身に降りかかるとされる年のことで、本厄は一般的に数え年で男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳とされている。平安時代にはすでに存在し、陰陽道に起源があると考えられているが出典は定かではなく、科学的な根拠は不確かであるが、根強く信じられている風習である。もともと厄年の「ヤク」とは「役目」の「役」のことで、共同体の中で重要な役割を担う年齢のことであり、特に神事に関わる役目を担うことから、厳重な物忌みなどが求められていたが、次第にもとの意味を失い、身を慎む習慣が残ったという説がある。また、昔の平均寿命が40歳前後であったことから、男性42歳、女性33歳は大厄で、そろそろ身体に注意したほうが良いという警告だったという説もある。語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通ずる。

 テレビ放送記念日
 1953年(昭和28年)のこの日、NHK東京放送局が日本初のテレビ本放送を行った。1953年(昭和28年)2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館のスタジオから「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送された。また、都内7ヵ所で一般公開され、開局祝賀会の模様や舞台中継、ニュース、映画などが放送された。ちなみに「JOAK」とは、東京放送局のコールサイン(呼び出し符号)である。当時の受信契約数は866件。大卒の初任給が約8000円の時代に受信料は月200円だった。また、国産の14インチ型の白黒テレビは17万5000円もした。同年の8月には日本テレビ、翌1954年(昭和29年)3月にNHK大阪と名古屋、1955年(昭和30年)4月にラジオ東京(現:東京放送(TBS))でもテレビ放送が開始された。2011年(平成23年)3月末の受信契約数は4027万件(地上2378万件、衛星1650万件)となっている。

明日は何の日? 1/31

1月31日 晦日正月・晦日節
 「晦日正月(みそかしょうがつ)」または「晦日節(みそかぜち)」ともいい、正月の終わりの日として祝うところもある。正月の松飾りのある期間「松の内」に年始回りをしなかった家を訪ねる日。またはお蕎麦を食べて祝う日など、地方によってこれらの習慣が残っているところもある。
「晦日」について
「晦日(みそか・つごもり)」は、旧暦でその月の最後の日のことである。12月31日のことを「大晦日(おおみそか)」というが、これは「晦日」のうちで一年の最後の日という意味である。「晦日」は「三十日」とも書くが、かつて29日の月の場合は30日が存在しないので、「晦日」のほうが混乱が起きず都合がよかった。現在でも「三十日」と表記し「みそか」と呼ぶことが多い。月末に食べる蕎麦「三十日蕎麦(みそかそば)」や、支払いを月末にすること「三十日払い(みそかばらい)」などがある。

 生命保険の日
 1881年(明治14年)に日本初の生命保険会社である明治生命が設立され、翌年の1882年(明治15年)のこの日、日本初の保険金受取人が現れたことが報じられた。これは保険の加入者が1000名に達した頃の出来事だった。1月20日、神奈川県警部長が心臓発作で急死した。彼の遺族が受け取った金額は1000円で、彼が支払った保険料はたった30円であった。保険会社は大損をしたが、新聞がこれを大きく報じたことで、生命保険が広く知られることとなった。記念日は東京都千代田区内神田に事務局を置き、各生命保険のトップセールスマンが集まる一般社団法人MDRT日本会が制定。お客様のために初心を忘れないようにとこの日を記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

今日は何の日? 1/30

1月30日 3分間電話の日
 1970年(昭和45年)のこの日、日本電信電話公社(略称:電電公社、現:NTT)の市内電話の料金が3分間10円になった。これは公衆電話からの料金で、それまで1通話10円で、時間は無制限だった。3分間10円は長電話防止のために始められたものだった。現在は携帯電話・スマートフォンの時代だが、この時代には「テレホンカード」も、100円硬貨の使える「黄電話」もまだなかった。「青電話」は1968年(昭和43年)に登場し、ダイヤル市外通話が可能となった。黄電話が登場したのは1972年(昭和47年)のことで、高額通話が増加したことから導入された。黄電話は100円硬貨も使えたが、構造やスペースの都合により釣り銭が出なかった。そのため、「100円玉でモシモシ お釣りはデンデン」などとも揶揄されたが、大量の10円硬貨を必要としないメリットがあった。テレホンカードは1982年(昭和57年)12月に発行・発売が開始された。

明日は何の日? 1/29

1月29日 昭和基地開設記念日
 1957年(昭和32年)のこの日、南極大陸に「昭和基地」が開設された。地球科学者・永田武隊長の指揮する南極観測隊が東オングル島に上陸し、本格的な観測が始まった。南極観測船「宗谷」、飛行機やヘリコプターを使っての調査が行われた。この年から翌年にかけては「国際地球観測年」で、日本を始め12ヵ国による観測網が敷かれた。タロとジロの生存、宗谷が氷に閉じ込められてソ連船に助けられるなど、多くのドラマがあった。「昭和基地」の名称は建設された時代の元号「昭和」にちなむ。南極には日本の観測基地として、昭和基地のほかに、みずほ基地、あすか基地、ドームふじ基地がある。関連する記念日として、4月6日は「北極の日」、12月14日は「南極の日」となっている。

明日は何の日? 1/28

1月28日 衣類乾燥機の日
 一般社団法人・日本電機工業会が1994年(平成6年)に制定した。日付は「衣類(1)ふん(2)わり(8)」と読む語呂合わせから。衣類乾燥機があれば、効率のよい洗濯物の乾燥を実現できることをテーマに、衣類乾燥機が最も活躍する冬を記念日とした。2013年(平成25年)の東京ガスの調査によると、衣類乾燥機を所有している人は約64%であった。ドラム型の衣類乾燥機は、乾く時間が早く、シワになりにくい。

明日は何の日? 1/27

1月27日 国旗制定記念日
 1870年(明治3年)のこの日、明治政府が日の丸を国旗とする太政官布告(だじょうかんふこく)の商船規則により、国旗のデザインと規格を示した。これを記念して、一般社団法人・国旗協会が記念日を制定。同協会は東京都千代田区丸の内に事務局を置き、国を象徴する国旗の正しい理解と普及を目的としている。日本の国旗は徳川幕府が「日本総船印(にほんそうふなじるし)」として定めた白地に日の丸を踏襲した「商船国旗」として定められた。規則ができるまでは船によりそれぞれ異なるデザインの旗が掲げられていた。後に陸軍・海軍の軍旗も別々に定められたが、廃止された。当時の規格は、縦横の比率は7:10で、日の丸が旗の中心から旗ざお側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。1999年(平成11年)8月9日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立、8月13日に公布・即日施行され、日の丸・君が代が国旗・国歌として法制化された。国旗の縦横の比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3、日の丸は旗の中心の位置。色地は白色、日の丸は紅色とされている。

ビオトープ工事

 管理棟とプレハブ棟の間にあるビオトープを復活させることになり、本日工事がおこなわれました。これまで「葦」を刈ったり、泥を出したりしてきました。いよいよ本格的な工事になりました。
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明日は何の日? 1/26

1月26日 文化財防火デー
 1949年(昭和24年)のこの日、世界最古の木造建築である奈良・法隆寺の金堂で火災が発生し、世界的にも有名であった金堂の壁画のほとんどが焼失してしまった。火災の原因について、公式には壁画模写の画家が使っていた電気座布団の漏電による出火とされている。この事件は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まった。この火災を教訓に1955年(昭和30年)、文化財を火災や震災などの災害から守ることを目的に、当時の文化財保護委員会(現:文化庁)と国家消防本部(現:消防庁)が記念日を制定。この日は「文化財を火災から守ろう」のスローガンのもと、寺社など全国各地の文化財施設で大規模な防火訓練が行われる。また、この火災をきっかけとして、文化財の保護についての総合的な法律として、1950年(昭和25年)に「文化財保護法」が公布・施行された。

明日は何の日? 1/25

1月25日 日本最低気温の日
 1902年(明治35年)のこの日、北海道上川地方旭川市で日本の気象観測史上の最低気温であるマイナス41.0度を記録した。これが日本の最低気温である。1978年(昭和53年)2月17日に北海道の幌加内町母子里(ほろかないちょうもしり)の北大演習林でマイナス41.2度を記録したが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、公式では上記の旭川市の記録が最低気温となっている。2月17日は記念日として「天使の囁きの日」となっている。また、富士山頂の最低気温としては、1981年(昭和56年)2月27日にマイナス38.0度を記録している。年間平均気温(1981〜2010年)は富士山頂がマイナス6.2度、旭川市が6.9度で、富士山頂のほうが13.1度も低い。年間平均気温で見ると富士山頂が日本で最も寒い場所と言える。ちなみに、世界の最低気温の記録は1983年(昭和58年)7月21日に南極大陸のロシア・ヴォストーク基地で観測されたマイナス89.2度であった。その後、記録が更新され、2010年(平成22年)8月10日に南極大陸の東部のドームA付近でマイナス93.2度を観測し、これが世界の最低気温となっている。2021年(令和3年)1月時点で、「日本最高気温の日」は7月23日(埼玉県熊谷市・2018年)と8月17日(静岡県浜松市・2020年)となっている。その最高気温は41.1度である。

全国学校給食週間 1/24〜30

全国学校給食週間(1月24日〜30日)
 文部省(現:文部科学省)が1950年(昭和25年)に制定。
 学校給食は、1889年(明治22年)に山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧しい家庭の子どもたちに昼食を提供したことがはじまりとされています。その後、給食の取り組みは全国各地へと広がりましたが、戦争の影響で食糧が不足し、実施できなくなってしまいました。1946年(昭和21年)、戦後の食糧難が続いていた日本にアメリカから学校給食用の物資が送られ、同年12月24日に贈呈式が行われた。それ以来、12月24日を「学校給食感謝の日」と定めた。また、12月24日から、東京・神奈川・千葉の3都県で学校給食が試験的に開始され、これを記念したもの。12月24日から実施すると学校が冬休みになることから1ヵ月遅らせて1月24日から30日の一週間が「全国学校給食週間」となった。「全国学校給食週間」は、学校給食の意義や役割について児童生徒や教職員、保護者、地域住民の理解と関心を深めるための週間である。この期間中、地場産物を生かした献立や、郷土料理を用いた特別献立が多くの学校で登場する。また、学校給食作文コンクールの実施や食育に関する講演など全国で様々な取り組みが行われる。

明日は何の日? 1/24

1月24日 郵便制度施行記念日
 1871年(明治4年)のこの日、「郵便規則」が制定された。同年3月1日から、東京・京都・大阪間で郵便業務が開始された。それまでは飛脚便に頼っていたが、近代郵便制度の創設者である政治家・前島密の建議により郵便制度が定められ、まず東京・京都・大阪に最初の郵便役所が創設され、営業が開始された。当時は東京と大阪間を3日と6時間かかって郵便を届けたという。その後、郵便役所はさらに横浜・神戸・長崎・函館・新潟と全国展開が図られた。また、江戸時代に地域のまとめ役だった名主に自宅を郵便取扱所とする旨を要請。1873年(明治6年)に全国約1100ヵ所の名主が郵便取扱所を快諾したことから、郵便制度は全国に拡大した。前島密はその功績から「郵便制度の父」と呼ばれ、1円切手の肖像でも知られる。また、東京郵便役所が置かれた現在の日本橋郵便局には「郵便発祥の地」の碑と前島密の胸像が設けられている。

 ゴールドラッシュの日
 1848年のこの日、アメリカ・カリフォルニアの製材所で働くジェームズ・マーシャルが川底にきらりと光る金の粒を発見した。仲間と秘密を誓ったが、この話は大きな噂となって全米に広まった。やがて一獲千金を夢見る男たちが殺到し、「ゴールドラッシュ」が起こった。1849年に金を求めてカリフォルニアに集まった人々はその年から「フォーティナイナーズ」と呼ばれた。ゴールドラッシュは、新しく発見された金の採掘地に人々が殺到することを意味する。マーシャルは金持ちになり損ねたが、アメリカ西部を発展させ、カリフォルニアは1年間だけで10万人も人口が増えた。これによりアメリカ合衆国の1州となり、小さな開拓地だったサンフランシスコやサクラメントは都市に成長し、パナマ地峡や大陸横断鉄道の完成を促進した。

入学説明会について

入学説明会は予定通り2月2日(木)に実施します。
   日程 1 受付・物品お渡し 9:30〜10:00
      2 説明      10:00〜11:15
      3 物品お渡し   11:20〜
   場所 中部小学校 体育館
なお、就学時健康診断の時に配布した「入学説明会開催のお知らせ」を
本ホームページ「配布文書」→「お知らせ」に掲載しました。

今日は何の日? 1/23

1月23日 八甲田山の日
 1902年(明治35年)のこの日、青森県の「八甲田山」へ雪中行軍に出かけた兵士210名が猛吹雪の中で遭難した。この日は北海道・東北に大寒波が接近していた。スキーはまだ日本に伝わっておらず、雪中行軍のノウハウも知らないまま、歩兵第5連隊は八甲田山突破のため弘前を出発した。猛吹雪の中で道に迷い、寒さと空腹と疲労の中で遭難し、199名が凍死した。「為せば成る」の精神主義だけでは、大自然を相手に勝つことができなかった。この死の行軍は、1971年(昭和46年)に刊行された新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の題材となり、1977年(昭和52年)にはこの小説を原作として『八甲田山』のタイトルで映画化もされた。

今日は何の日? 1/22

1月22日 カレーライスの日・カレーの日
 1982年(昭和57年)のこの日、学校給食創立35周年を記念して、全国学校栄養士協議会が学校給食試食会を実施。全国の小中学校の児童約800万人にカレーライスの給食が出された。この日を「全国一斉献立カレーライスの日」とした。1976年(昭和51年)に正式導入された米飯給食の普及にも大いに貢献し、不動の国民食としての地位を獲得した。また、カレーを製造する事業者の全国団体である全日本カレー工業協同組合がこの日を「カレーの日」に制定した。国民食と言われるまでに普及したカレーのよりいっそうの普及拡大により、健康で豊かな消費生活の実現に寄与することが目的。この日にはプレゼントキャンペーンなどのイベントが実施される。「カレーの日」は2016年(平成28年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

明日は何の日? 1/21

1月21日 料理番組の日
 1937年(昭和12年)のこの日、イギリスのBBCテレビで、料理番組の元祖と言われる『夕べの料理』(Cook's Night Out)が放送を開始した。初回の放送内容はオムレツの作り方だった。この番組を担当したマルセル・ブールスタンは、世界で初めてテレビ出演した料理人となり、その後、何人ものスターが現れた。日本では1963年(昭和38年)の同じ日に日本テレビ『キューピー3分クッキング』の放送が開始された。通称は「3分クッキング」。この番組は2018年(平成30年)に55周年を迎え、日本有数の長寿料理番組となっている。日本においてさらに長い歴史を持つ料理番組としてNHKの『きょうの料理』がある。この番組は1957年(昭和32年)11月4日に放送が開始された。そして、60年以上にわたり放送されており、「3分クッキング」と並ぶ長寿料理番組となっている。

 ライバルが手を結ぶ日
 1866年(慶応2年)のこの日、薩摩藩の西郷隆盛と小松帯刀、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)らが土佐藩の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕のために薩長同盟(薩長連合)を結んだ。薩摩藩と長州藩は、京都を中心とする幕末の政治世界において勢力の強い雄藩として大きな影響力を持ったが、薩摩藩が公武合体の立場から幕府の開国路線を支持しつつ幕政改革を求めたのに対し、長州藩は急進的な破約攘夷論を奉じて反幕的姿勢を強めるなど、両者は容易に相いれない立場にあった。しかし、倒幕というひとつの目的のために敵対するライバルが「薩長同盟」という形で手を結んだ。そして、こうした動きが2年後の明治維新につながった。

明日は何の日? 1/20

1月20日 大寒
 「大寒(だいかん)」は、「二十四節気」の一つで第24番目にあたる。現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日頃。「大寒」の日付は、近年では1月20日または1月21日であり、年によって異なる。「大寒」の一つ前の節気は「小寒」(1月5日頃)、一つ後の節気は「立春」(2月4日頃)。「大寒」には期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「立春」前日までである。「小寒」から「立春」前日の「節分」までの約30日間を「寒(かん)」や「寒中」「寒の内」と呼び、「大寒」はその真ん中にあたり一年で最も寒い時期である。この頃に各地で一年の最低気温が記録されることが多い。江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧(べんらん)』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。ただし、「小寒の氷大寒に解く」という言葉もあり、「小寒」に比べて「大寒」のほうが暖かい場合もある。この言葉は物事が必ずしも順序通りにいかないことの例えとして用いられる。武道ではこの頃に精神を鍛錬するための「寒稽古」が行われる。また、寒気を利用した食物である凍り豆腐や寒天、酒、味噌などを仕込む時期でもある。「大寒」の朝の水は一年間腐らないとされており、容器などに入れて納戸に保管する家庭もある。この他に、この日に産まれた卵は栄養価が高いなどと言われる。

 二十日正月
正月の祝い納めをして、「小正月」の飾り物を納める日。飾りにつけた団子をこの日に食べる地方もある。この日をもって正月の行事は終了する。正月料理の鰤(ぶり)や鮭もこの頃には頭と骨しか残っておらず、それを汁物や煮物に仕立て、最後のご馳走にして食べることから、西日本の各地では「骨正月」「頭正月」ともいう。他の地方でも、「乞食正月」(石川県)、「棚探し」(群馬県)、「フセ正月」(岐阜県)などと言って、正月のご馳走や餅などを食べ尽くす風習がある。

明日は何の日? 1/19

1月19日 家庭用消火器点検の日
 東京都中央区新川に事務局を置き、防火・防災意識向上のための啓発・普及などの事業を行う一般社団法人・全国消防機器販売業協会(全消販)が1991年(平成3年)10月に制定。日付は「1」と「19」で消防機関への緊急通報電話番号「119」となり、11月9日は消防庁が定めた「119番の日」であるため、1月19日を記念日とした。「消火器」は、一般住宅におけるもっとも手軽な初期消火設備である。家庭用の消火器をよく知ってもらい、家庭での点検、使い方などの認識を高めてもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 のど自慢の日
 1946年(昭和21年)のこの日、NHKラジオの「のど自慢素人音楽会」が始まったことを記念して日本放送協会(NHK)が制定。初めての聴取者が参加できる娯楽番組であった。第一回の予選では、モンペや復員兵スタイルの人が朝早くから900人も集まった。予選通過者は30人で競争率は30倍。人気のあった曲は「りんごの唄」「旅の夜風」「誰か故郷を思わざる」などだった。当初は鐘もなく、司会者が口頭で合格者に「合格です」、不合格者には「けっこうです」と告げていた。この日は「のど自慢の日」であるとともに「カラオケの日」ともされる。
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学校行事
2/7 オンライン表彰式 
2/8 有価物回収
2/9 PTA役員会9時・運営委員会10時 4年読み聞かせ

学校だより

お知らせ

PTA

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