今日は何の日? 3/21
3月21日 春分の日(国民の祝日)
「春分の日(しゅんぶんのひ)」は「国民の祝日」の祝日の一つ。天文観測により「春分」が起こる「春分日」が選定され休日とされる。「春分の日」の日付は、近年では3月20日または3月21日であり、年によって異なる。1948年(昭和23年)に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」(祝日法)によって制定された。同法第2条では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。「春分の日」は、国立天文台の算出する定気法による「春分日」を基にして閣議決定され、前年2月1日に翌年の暦をまとめた「暦要項」として官報で告示される。天文学に基づいて年ごとに決定される国家の祝日は世界的に見ても珍しい。この日をはさんで前後7日間が「春の彼岸(ひがん)」であり、農事始めをする時期にあたり、元々この日は先祖を祭る日であった。また、この日の前後に家族でご先祖様のお墓参りに行く習慣や、野遊びや山登りを行う地方も多い。第二次大戦前は歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式で、五穀豊穣を祈る「春季皇霊祭」として祭日であった。この日は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日とされる。また、この日を境に昼の時間が長くなり、夜の時間が短くなる。ただし、実際には「春分の日」では平均すると昼の方が14分ほど長い。 国際人種差別撤廃デー 1966年(昭和41年)の国連総会で制定。国際デーの一つ。1960年(昭和35年)のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡する「シャープビル虐殺事件」が発生した。この事件が、国連が人種差別に取り組む契機となったことから、人種差別撤廃のための記念日とされた。この日には、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。1971年(昭和46年)は国連が定めた国際年の一つ「人種差別と闘う国際年」だった。また、この日を始めとする3月21日〜3月27日は国際週間の一つ「人種差別と闘う人々との連帯週間」となっている。 2−4音楽
1年間で学習した曲を、鍵盤ハーモニカで演奏していました。
1−3算数
1年間のまとめの学習をしています。
業間休み
温かくて気持ちのよい陽気でした。
今日は何の日? 3/20
3月20日 国際幸福デー
2012年(平成24年)7月の国連総会で制定。国際デーの一つ。「ハピネスデー」や「幸福の日」としても知られる。2012年6月に国連顧問のジェイム・イリエンが提唱し、国連総会で193ヵ国の加盟国が満場一致で、国連決議として採択された。この日を中心として「幸福の追求」をテーマに様々な取り組みが行われる。また、世界がより幸福であるようにと願うとともに「幸福とは何か」について考える日でもある。ブータンでは、1970年代初頭から国民所得に対する国民の幸福の価値を認識し、国民総生産(GNP)に対する国民総幸福(GNH)を目標とする採択がされた。この国民の幸福量を政策の指針とする姿勢は多くの反響を呼び、この国際デーにも繋がっている。物質的な経済成長ではなく、人類の持続可能な発展、貧困撲滅、幸福の追求のためには、より包括的でより公平なバランスの取れた経済成長へのアプローチが必要と考えられている。 電卓の日 1960年(昭和35年)に設立された日本事務機械工業会が制定。記念日は1974年(昭和49年)にエレクトロニクス技術を駆使した日本の電子式卓上計算機(電卓)の生産数量が年間1,000万台を突破し、世界一になったことを記念したもの。また、この年は国産の電卓が発売されてちょうど10年目の節目にも当たる。電卓は東京オリンピックが開催された年の1964年(昭和39年)3月に早川電機工業株式会社(シャープ株式会社)が国産初の電卓「CS-10A」を発表し、6月に価格53万5,000円で発売した。この電卓は当時の車が買えるほど高価なものであった。数字入力はフルキー式10桁、表示はニキシ管による20桁表示、ゲルマニウム・トランジスタ530個とダイオード2,300個を含む約4,000点の部品からなり、大きさは420×440×250mmで、重量は25kgもあった。記念日の日付については、早川電機が「CS-10A」を発表したとされる1964年(昭和39年)3月18日に由来して、多くの記念日がある3月の中でも、市場の隆盛を象徴する春の到来を意味し、しかも覚えやすい日ということで3月20日に設定された。 上野動物園開園記念日 1882年(明治15年)のこの日、日本初の近代動物園として、「上野動物園」が上野公園内に開園した。当初は1ヘクタールの広さで、水牛・猿・鷲などが人気を集めていたという。入場料は平日が1銭、日曜日が2銭だった。現在、人気のジャイアントパンダのほか、スマトラトラ、ニシローランドゴリラなどの希少動物を含む500種あまりの動物が飼育されている。この日は「開園記念日」にちなんで「動物愛護デー」とされている。また、この日は5月4日の「みどりの日」、10月1日の「都民の日」とともに入園料が無料となる。ちなみに「小学生以下」および「都内在住・在学の中学生」はいつでも無料で、5月5日の「こどもの日」はすべての中学生が無料となる。 春到来2春到来
四季の道の花壇に菜の花が満開。正門の桜が開花。
今日は何の日? 3/19
3月19日 カメラ発明記念日
1839年のこの日、フランスの画家・写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787〜1851年)が写真機を発明した。この写真機は発明者の名前をとって「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければならなかったが、大変な人気を集めた。ダゲレオタイプは銀メッキをした銅板などを感光材料として使うため、日本語では「銀板写真」とも呼ばれる。ダゲールは当時のフランスを代表する科学者フランソワ・アラゴ(1786〜1853年)に新たな写真技術への推薦を求めたところ、アラゴはその有益性を認めてこれをフランス政府に推挙した。フランス政府は公益のため、ダゲールへ補償として終身年金を支給することで、写真技術を一般に公開した。その結果、銀板写真法は19世紀中期、世界中で急速に普及することになった。 鎌ケ谷阿波おどりを観てきました2
中部小の児童もおうちの方と見学に来ていました。本場の阿波おどりは、やっぱりカッコいいですね。
鎌ケ谷阿波おどりを観てきました
鎌ケ谷市役所の駐車場で、本場の阿波おどりが披露されました。あいにくの天気でしたが、踊り子さん方は、声を出して踊っていました。
明日は何の日? 3/18
3月18日 彼岸入り
「彼岸(ひがん)」とは、日本の「雑節」の一つで「お彼岸」とも呼ばれる。仏教に由来する行事とされ、3月の「春の彼岸」と9月の「秋の彼岸」がある。彼岸は、二十四節気の「春分(3月21日頃)」と「秋分(9月23日頃)」を中日(ちゅうにち)とし、前後各3日を合わせた各7日間であり、1年で計14日ある。この期間に行う仏教の行事を「彼岸会(ひがんえ)」と呼び、一般的にはこの期間に「お墓参り」をする。彼岸の最初の日を「彼岸入り」や「お彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」や「お彼岸の明け」などと呼ぶ。なお、中日の「春分」は「春分の日」、「秋分」は「秋分の日」として国民の祝日となっている。2023年(令和5年)の「春の彼岸」の日付は以下の通り。 • 3月18日(土)彼岸入り • 3月19日(日) • 3月20日(月) • 3月21日(火)中日(春分) • 3月22日(水) • 3月23日(木) • 3月24日(金)彼岸明け 日本では彼岸に供え物として、もち米とあんこを使用した「ぼた餅」や「おはぎ」と呼ばれる食べ物が作られ、食される。これらの名前は、彼岸の頃に咲く花である春の牡丹(ぼたん)と秋の萩(はぎ)に由来すると言われる。日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がある。これは「冬の寒さ(残寒)や夏の暑さ(残暑)は彼岸の頃まで続き、彼岸を過ぎると和らぎ、凌ぎやすくなる」という意味である。彼岸に由来する花として「ヒガンバナ(彼岸花)」がある。ヒガンバナは、ヒガンバナ科の多年草で、鮮やかな赤い花を咲かせる。地下の球根には強い毒性がある有毒植物であるが、かつては飢饉(ききん)や災害の際に食べる救荒(きゅうこう)作物として球根のデンプンを毒抜きして食べていた。 点字ブロックの日 岡山県岡山市中区に本部を置き、「自助自立と相互扶助」の理念を基本として設立された社会福祉法人・岡山県視覚障害者協会が2010年(平成22年)に制定。視覚障害者の安全な歩行を助ける点字ブロック(正式名称:視覚障害者誘導用ブロック)。この点字ブロックが世界で初めて岡山市中区の岡山県立岡山盲学校の近くの原尾島交差点に敷設されたのが1967年(昭和42年)3月18日のこと。点字ブロックの安全性の確保と発展を目指して記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。原尾島交差点は国道250号(当時:国道2号)にあり、岡山盲学校の生徒が登下校の際に利用していた。その交差点の横断歩道に230枚の点字ブロックが敷設されたのをきっかけに、点字ブロックは各地に徐々に広まっていった。その交差点の緑地帯の一角には「点字ブロック発祥の地」の石碑が建てられている。その他、「当時の点字ブロック」のサンプルや「点字ブロック完成の歴史」を記した副碑、近くの歩道上には「点字ブロック世界初敷設場所」と記した石版も設置されている。 卒業証書授与式 校長式辞終了後の校庭の様子
式が終わって、緊張がほどけたようです。式は、入場から退場まで、とても素晴らしかったです。
改めて、卒業おめでとう。 卒業式後のクラス写真2卒業式後のクラス写真卒業式前の6−4
担任も入って「ハイ、ポーズ」
卒業式前の6−3
やや緊張気味。少しリラックス。
卒業式前の6−2
少しリラックスムード。
卒業式前の6−1
最後の合唱練習をしていました。
明日は何の日? 3/17
3月17日 漫画週刊誌の日
1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された。『週刊少年マガジン』は、講談社が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は木曜日発売で定価は40円であった。その当時のキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」で、主力作品は連続小説が大半を占めていた。最初はヒット作には恵まれず、ライバルである『週刊少年サンデー』に水を空けられている状況が続いた。しかし、1965年(昭和40年)のちばてつや「ハリスの旋風」を皮切りにマガジンの快進撃が始まり、「巨人の星」「あしたのジョー」の2大スポ根マンガで一気に少年雑誌としての地位を不動のものとした。その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」なども連載を始め、1967年(昭和42年)1月にはついに100万部を突破した。『週刊少年サンデー』は、小学館が発行する漫画雑誌で、現在は毎週水曜日に発売されているが、創刊当初は火曜日発売で定価はマガジンよりも安い30円であった。「サンデー」という誌名は「この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるように」という初代編集長・豊田亀市が名付けた。創刊前には「小学館の新児童誌」と宣伝され、実際、創刊から10年近くの間、学年誌の延長線上にあり、読み物や付録などが充実していた。創刊号のラインアップは手塚治虫「スリル博士」、横山隆一「宇宙少年トンダー」、寺田ヒロオ「スポーツマン金太郎」、藤子不二雄「海の王子」、益子かつみ「南蛮小天狗」であった。創刊号の売上げはサンデーが30万部、マガジンが20.5万部でサンデー側に軍配が上がり、マガジンも5号から30円に値下げした。これ以降もお互い張り合って雑誌の総ページ数を増やしていった。 みんなで考えるSDGsの日 東京都中央区銀座に本社を置き、広報活動の支援や代行、コンサルティングなどを行う共同ピーアール株式会社の総合研究所(PR総研)が制定。国連が定めた「持続可能な開発目標」である「SDGs(Sustainable Development Goals)」についての様々な企業の取り組みをより多くの人に伝えることが目的。また、企業だけでなくひとり一人がSDGsについて考える日にとの思いも込められている。日付はSDGsに持続可能な世界を実現するために掲げられている17のゴール(目標)から「みんな(3)」で「17」のゴールを実現しようという意気込みで3月17日に。記念日は2020年(令和2年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 |
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