4−1音楽
音楽の授業で、楽器の学習をしていました。今日は、木管楽器について学んでいました。
6−3外国語
英語で書かれているすごろくを3〜4人組で楽しんでいました。止まったところによってミッションがあり、先生に英語で質問するカードを引いたグループがあり、質問され、答えました。
6−1図書室
高学年になってからは、授業で図書室には入っていなかったと思います。今日は懐かしい図書室での読書を楽しんでいました。担任の粋な計らいですね。
4−2総合的な学習
「10年の軌跡」のアルバムの最後に載せるクラスの仲間からのメッセージを書いていました。どんなことが書いてあるのか楽しみですね。
4−3図工
4年生は、最後の図工の作品を制作していました。色画用紙をきって、未来のおうちを作っていました。
4−4学級活動
1年間一緒にすごした仲間とのお別れの会の計画を話し合っていました。
6年 卒業式練習
2時間目に、卒業証書をもらう動きを通して行っていました。
今日は何の日? 3/13
3月13日 新選組の日
新選組にゆかりのある東京都日野市のNPO(特定非営利活動)法人・日野市観光協会が制定。1863年(文久3年)のこの日、京都・壬生に詰めていた武芸に秀でた浪士達で構成された新選組の前身「壬生浪士組」に、陸奥国会津藩主で京都守護職の松平容保から「会津藩預かり」とする連絡が入り、新選組が正式に発足した。もともと壬生浪士組は、清河八郎の提案で、事件が頻発している京都の警護に当たるために幕府が江戸で募集をしたものである。1863年2月に江戸を出発したが、京都に着いた途端、清河が壬生浪士組の目的は尊皇攘夷だと言い出したため、浪士組は空中分解してしまった。まもなく幕府の帰還命令を受けて清河ら209名は江戸に戻ったが、近藤勇・芹沢鴨・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八・井上源三郎・斎藤一ら24名はそのまま京都に残留した。松平容保の配下に入り、9月に隊名を「新選組」と改称した。その後、約4年間にわたり、京都で尊皇攘夷派・倒幕派の弾圧を行った。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。日野市は新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎らの出身地であり、新選組の故郷である。この歴史・文化を郷土の誇りとして、意識おこし・まちおこしにつなげ、市全体の活性化を目指している。 今日は何の日? 3/12
3月12日 スイーツの日
東京都目黒区自由が丘に本社を置き、スイーツを取り扱うWebマガジンを発行する株式会社スーパースイーツが2008年(平成20年)に制定。日付は「ス(three=3)イ(1)ーツ(two=2)」と読む語呂合わせから。お菓子の魅力をより多くの人に広めることが目的。同社は、2006年(平成18年)11月にサイバーエージェントの子会社として設立されたが、2008年5月に収益の伸びが難しいとの判断で解散し、エコールアッシュ社に営業資産の譲渡を行った。その後、エコールアッシュがスーパースイーツに社名を変更しており、現在はサイバーエージェントとの資本関係はない。カリスマパティシエと言われる辻口博啓が発起人・代表となり、スイーツと取り巻くライフスタイルを提案する会社として再スタートしている。スイーツの商品開発・監修、イベント出演・講演、メディア協力、コンサルティングなどを行っている。 今日は何の日? 3/11
3月11日 いのちの日
「災害時医療を考える会」が制定。2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えることが目的。災害時医療の改善を図るとともに、9月1日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。この日を中心にシンポジウムの開催や標語の募集などが行われる。同会は、東日本大震災の際に自ら被災地に向けて、心と体の健康回復に関して何らかのアクションを起こした医療者、ジャーナリスト、政治家、大学教員、災害ボランティアなどで構成されている。災害において医療に関係する問題を解決するために、何ができるのかを考える人たちの会である。 防災意識を育てる日 インターネットテレビやFMラジオ局を運営し、東京・渋谷の「今」と「これから」を世界へ発信する株式会社渋谷クロスFMが制定。日本で全国的な防災訓練が行われるのは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災に由来する9月1日の「防災の日」である。しかし、この防災訓練は台風シーズンと重なることから中止となることもある。そこで、どの世代にも記憶に新しい2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の日に、その経験を風化させないためにも、震災で得た教訓を次の世代につないでいき、家族や職場などで防災について話し合い、行動してもらうことを目的にこの記念日が制定された。同社は毎年、この日に防災特別番組を放送し、被災地へのボランティア活動も積極的に行っている。記念日は2021年(令和3年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。その後、この記念日は同社の代表取締役社長で防災士の江崎洋幸氏が継承している。大きな柱は「地域防災への意識づけ」と「インディーズミュージシャンの応援」であり、渋谷の地域情報や防災情報、渋谷のカルチャーなどを発信する。放送時間は12時から23時で、FM放送のほか、Webサイトのストリーミング配信でも視聴可能である。 卒業式合唱練習2
「ありがとうの会」の時より、さらにパワーアップできるように音楽専科の先生からもアドバイスをもらっています。
卒業式合唱練習1
卒業式で歌う合唱曲「旅立ちの日に」の練習を体育館で行っていました。
昼休み3
いつものように遊具は人気です。
昼休み2
鉄棒でも遊んでいます。
昼休み1
ポカポカ陽気の昼休み。みんな元気に遊んでいます。
3−4体育
体育館で体育の学習を行っていました。二人組でゲーム的なことをしながら、体ほぐしを行っていました。
今日は何の日? 3/10
3月10日 東海道・山陽新幹線全通記念日
1975年(昭和50年)のこの日、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズのもと、山陽新幹線・岡山駅〜博多駅間が延伸開業し、山陽新幹線が全線開業した。これに伴い、東京駅〜博多駅間の新幹線が全線開通した。新大阪駅を境に東側の東京駅〜新大阪駅間が東海道新幹線(515.4km)、西側の新大阪駅〜博多駅間が山陽新幹線(553.7km)で、総延長は1069.1km、運賃を計算する際に使用する営業キロは1174.9kmである。直通列車は定期列車だけで「のぞみ」(東京駅〜広島駅・博多駅間)が毎時3本、「ひかり」(東京駅〜岡山駅間)が毎時1本運行されている。かつては「こだま」も定期直通運転が行われていたが、1999年(平成11年)に終了している。全線開通した1975年当時、東京駅〜博多駅間の所要時間は6時間56分であった。現在の所要時間は、東京駅〜博多駅間が平均5時間4〜9分、東京駅〜新大阪駅間が平均2時間30分である。最も速い「のぞみ」は、2016年(平成28年)12月時点で東京駅〜博多駅間を4時間46分で走る。 たけのこの里の日 東京都中央区京橋に本社を置き、チョコレート菓子「たけのこの里」を発売する株式会社明治が制定。日付は「たけのこ」の旬が3月からで、また「さ(3)と(10)」(里)と読む語呂合わせから3月10日に。1979年(昭和54年)の発売以来、チョコレートとクッキーを組み合わせた絶妙な食感と美味しさで愛されてきた「たけのこの里」から、多くのファンに感謝の気持ちを伝える日。記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。姉妹品でありライバル商品でもある「きのこの山」の記念日は8月11日で「きのこの山の日」となっている。「たけのこの里」は、カカオの香り引き立つコクのあるチョコレートとミルクでまろやかに仕上げたチョコレート、2つを合わせたチョコレートとサクサクの味わいクッキーが美味しさのポイント。いつ食べても「ふるさと」のようにほっとできるチョコレート菓子として、長く愛されている。大定番の「たけのこの里」の他にも、甘さひかえめでカカオの旨みが楽しめる「大人のたけのこの里」や、練乳ミルクのコクと甘酸っぱいいちごチョコを組み合わせた「たけのこの里 練乳いちご味」などがある。 今日は何の日? 3/9
3月9日 記念切手記念日
1894年(明治27年)のこの日、日本最初の記念切手が発行された。明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年(銀婚)を記念して発行され、菊の紋章に雌雄の鶴2羽が描かれたデザインで、紅色で内地用(内国用封書用)の2銭と青色で外地用(外国用封書用)の5銭の2種類だった。当時、日本には記念切手の概念がなく、銀婚の祝典を記念する切手を望んだ在留外国人の新聞投書によって政府が動き、時の逓信大臣・黒田清隆の命で急きょ発行されることとなったものである。「記念切手」とは、郵便局や販売期間、枚数に定めのない「普通切手」とは異なり一定枚数のみ印刷され、場合によっては販売される郵便局や販売期間、郵便に使用できる期間までも制限されるのが特徴である。同様な切手としてキャンペーンや文化財の紹介国家的宣伝などの意図をもって発行される「特殊切手」があるほか、ふるさと振興を目的に発行された「ふるさと切手」、年賀郵便に使用される目的の「年賀切手」などもある。 関門国道トンネル開通記念日(3月9日 記念日) 1958年(昭和33年)のこの日、山口県下関市と福岡県北九州市門司区を結ぶ海底道路トンネルである関門国道トンネルが開通した。全長は3461メートル、海底部分は780メートル。トンネル内は片側1車線の2車線道路。工期は21年で総工費は当時の金額で約57億円だった。関門海峡(早鞆の瀬戸)の海底下で貫通するトンネルは3本あり、1942年(昭和17)に鉄道用の「関門鉄道トンネル」が、1975年(昭和50年)に新幹線用の「新関門トンネル」が開通している。また、1973年(昭和48年)に関門海峡を跨ぐ高速道路の「関門橋」が開通している。関門国道トンネルは、国道2号の有料の海底道路トンネルで、料金は普通車150円、軽自動車100円である。また、徒歩でも通行できる人道トンネルも併設されており、料金は歩行者無料、軽車両(自転車・原付)は20円で、軽車両は押して歩く必要がある。人道は両端とも国道2号に接続していないが、国道2号車道に対する自転車歩行者道の扱いであり、人道も国道2号に指定されている。トンネルは二重構造になっていて、上が車、下が人道となっている。世界初の海底道路トンネルの誕生は、本州から九州まで徒歩でも渡れるという話題性もあり全国から観光客が集まり、散歩を楽しんだと言われる。 今日は何の日? 3/8
3月8日 国際女性デー
国際的な婦人解放の記念日。国際デーの一つ。日本語では「国際婦人デー」「国際女性の日」などとも呼ばれる。1904年(明治37年)のこの日、アメリカ・ニューヨークで、女性労働者が参政権を求めて集会を開いた。1910年(明治43年)にデンマークの首都コペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう記念の日」として正式に制定された。日本では1923年(大正12年)、社会主義婦人団体・赤瀾会(せきらんかい)が中心となり、種蒔き社の後援で、東京・神田のキリスト教青年会館で婦人の政治的・社会的・経済的自由を訴える演説会が開催されたのが最初だった。国連は「国際婦人年」である1975年(昭和50年)に3月8日のこの日を「国際婦人デー(IWD)」と定めた。現在では「国際女性デー」と言い換えられている。この日は、国際連合事務総長が女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日となっており、婦人の解放と世界平和を目指す国際的な行動日として世界中で様々なイベントが実施される。 ビオトープ進捗状況
市役所の方、地域のビオトープに詳しい方等、毎回3〜4名の方が来校し、ビオトープ復元に向けて、力を貸してくれています。教頭先生も手伝っています。
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