業間休み
今日は、日差しがさしてきてどんどん気温が上がってきました。校庭で遊んでいる子どもたちも増えたような気がします。
明日は何の日? 2/1
2月1日 重ね正月・一夜正月
厄年(やくどし)の人のための2回目の正月。厄年の人が「年かさね」と称して、この日を2回目の元日として仮にひとつ歳をとらせ、厄年を早くやり過ごそうとする風習である。厄年とは、厄災が身に降りかかるとされる年のことで、本厄は一般的に数え年で男性は25歳・42歳・61歳、女性は19歳・33歳・37歳とされている。平安時代にはすでに存在し、陰陽道に起源があると考えられているが出典は定かではなく、科学的な根拠は不確かであるが、根強く信じられている風習である。もともと厄年の「ヤク」とは「役目」の「役」のことで、共同体の中で重要な役割を担う年齢のことであり、特に神事に関わる役目を担うことから、厳重な物忌みなどが求められていたが、次第にもとの意味を失い、身を慎む習慣が残ったという説がある。また、昔の平均寿命が40歳前後であったことから、男性42歳、女性33歳は大厄で、そろそろ身体に注意したほうが良いという警告だったという説もある。語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通ずる。 テレビ放送記念日 1953年(昭和28年)のこの日、NHK東京放送局が日本初のテレビ本放送を行った。1953年(昭和28年)2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館のスタジオから「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送された。また、都内7ヵ所で一般公開され、開局祝賀会の模様や舞台中継、ニュース、映画などが放送された。ちなみに「JOAK」とは、東京放送局のコールサイン(呼び出し符号)である。当時の受信契約数は866件。大卒の初任給が約8000円の時代に受信料は月200円だった。また、国産の14インチ型の白黒テレビは17万5000円もした。同年の8月には日本テレビ、翌1954年(昭和29年)3月にNHK大阪と名古屋、1955年(昭和30年)4月にラジオ東京(現:東京放送(TBS))でもテレビ放送が開始された。2011年(平成23年)3月末の受信契約数は4027万件(地上2378万件、衛星1650万件)となっている。 2−3廊下掲示
図工の学習で制作した作品が廊下に掲示されていました。個性を存分に発揮した作品です。
3−1社会
社会の授業で、事故が起きたときの救急体制について調べ学習を行っていました。
3−2漢字
国語の授業で、漢字ドリルを進めていました。
3−3学級活動
3学期の係のポスターを作成していました。
業間休み2
今日は、6年生がたくさん校庭に出てきていました。
2−2体育
2年生になると,できる技も増え、難しい技に挑戦しています。
1−3凧あげ
各自、いろいろな絵を描いた凧を朝学習の時間に校庭であげていました。ゆるい風が吹いていたため、凧は元気に高くあがっていました。
明日は何の日? 1/31
1月31日 晦日正月・晦日節
「晦日正月(みそかしょうがつ)」または「晦日節(みそかぜち)」ともいい、正月の終わりの日として祝うところもある。正月の松飾りのある期間「松の内」に年始回りをしなかった家を訪ねる日。またはお蕎麦を食べて祝う日など、地方によってこれらの習慣が残っているところもある。 「晦日」について 「晦日(みそか・つごもり)」は、旧暦でその月の最後の日のことである。12月31日のことを「大晦日(おおみそか)」というが、これは「晦日」のうちで一年の最後の日という意味である。「晦日」は「三十日」とも書くが、かつて29日の月の場合は30日が存在しないので、「晦日」のほうが混乱が起きず都合がよかった。現在でも「三十日」と表記し「みそか」と呼ぶことが多い。月末に食べる蕎麦「三十日蕎麦(みそかそば)」や、支払いを月末にすること「三十日払い(みそかばらい)」などがある。 生命保険の日 1881年(明治14年)に日本初の生命保険会社である明治生命が設立され、翌年の1882年(明治15年)のこの日、日本初の保険金受取人が現れたことが報じられた。これは保険の加入者が1000名に達した頃の出来事だった。1月20日、神奈川県警部長が心臓発作で急死した。彼の遺族が受け取った金額は1000円で、彼が支払った保険料はたった30円であった。保険会社は大損をしたが、新聞がこれを大きく報じたことで、生命保険が広く知られることとなった。記念日は東京都千代田区内神田に事務局を置き、各生命保険のトップセールスマンが集まる一般社団法人MDRT日本会が制定。お客様のために初心を忘れないようにとこの日を記念日とした。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 5年 児童会役員選挙投票2
本物の投票箱に投票用紙を入れるときに、なぜかうれしそうな表情をしていました。
5年 児童会役員選挙投票
さすが5年生。手際よく、投票用紙に記入していました。
5年 児童会役員選挙立会演説会
立候補者は、みな堂々とした態度で演説していました。さすが5年生。
昼休み
今日は,日差しがあり、ポカポカ陽気です。
4年 児童会役員選挙投票
市役所で、本物の投票箱と記載台を借りてきました。子どもたちは緊張した様子で、本格的な投票になりました。
2−4体育
校庭で体育の学習をしていました。6チームに分かれて,リレーをおこなっていました。とても盛り上がっていました。
4年 児童会役員選挙立会演説会2
立候補者の演説は、堂々としていました。聞いている人たちは、真剣な表情でした。
4年 児童会役員選挙立会演説会1
4時間目に、4年生の児童会役員選挙の立会演説会がおこなわれました。選挙管理委員が進行しています。
業間休み
今日も元気に休み時間を過ごしています。
今日は何の日? 1/30
1月30日 3分間電話の日
1970年(昭和45年)のこの日、日本電信電話公社(略称:電電公社、現:NTT)の市内電話の料金が3分間10円になった。これは公衆電話からの料金で、それまで1通話10円で、時間は無制限だった。3分間10円は長電話防止のために始められたものだった。現在は携帯電話・スマートフォンの時代だが、この時代には「テレホンカード」も、100円硬貨の使える「黄電話」もまだなかった。「青電話」は1968年(昭和43年)に登場し、ダイヤル市外通話が可能となった。黄電話が登場したのは1972年(昭和47年)のことで、高額通話が増加したことから導入された。黄電話は100円硬貨も使えたが、構造やスペースの都合により釣り銭が出なかった。そのため、「100円玉でモシモシ お釣りはデンデン」などとも揶揄されたが、大量の10円硬貨を必要としないメリットがあった。テレホンカードは1982年(昭和57年)12月に発行・発売が開始された。 |
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