4−1体育
準備運動を終えて、短なわとびを各自の目標で練習をしていました。二重とびを何十回も続けられる子どももいました。
梅の木
校長室から見える梅の木の白い花が咲き始めました。昨日・今日と気温が高かったので、成長が進んだのでしょう。
1−2体育
元気な声を出して、体操を行っています。体育係がしっかりと号令をかけています。
4−2体育
体育係を中心に体操を行っています。元気な声も聞こえます。
ビオトープ
ビオトープ再建が少しずつ進んでいます。この再建の費用は、PTA会費から支援していただいています。今日は、ポンプの土台になる砂利を敷き、先日ならした土の上にゴムシートを敷く作業を行いました。今年度中の完成を目指しています。
1−3凧あげ
朝学習の時間に、校庭で凧あげをしていました。何回かやっているので、あげ方が上手になってきました。
明日は何の日? 2/8
2月8日 御事始め
「御事始め(おことはじめ)」または「事始め」は、農作業が始まり、一年の営みが始まる日である。この日が一年の「農の事始め」であり、12月8日はその終わりであることから「御事納め(おことおさめ)」または「事納め」といい、2月8日と12月8日をまとめて「事八日(ことようか)」という。農事を始めることを祝って行なった行事のことも意味する。江戸時代や関東の一部では、正月の儀式を始める12月8日を「御事始め」とし、正月の儀式が終わる2月8日を「御事納め」としていた。 針供養 針供養(はりくよう)は、縫い針を供養する目的で、2月8日または12月8日に行われる行事である。この日は裁縫を休んで、古い錆びた針や折れた針など使えなくなった縫い針を集めて社寺に納めたり、豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺したりして供養をする。各地の社寺で行われているが、主に淡島神社または淡島神を祀る堂がある寺院で行われる。東京都江東区にある浅草寺境内の淡島堂、和歌山県和歌山市の淡嶋神社などが有名である。鉄の針が大量生産されるようになったのは室町時代のことであり、和歌山の淡島信仰と結びついた針供養の風習が、各地をまわる淡島願人(あわしまがんにん)を通じて日本全国に広まったのは江戸時代中期以降のことである。 郵便マークの日 1887年(明治20年)のこの日、「郵便マーク(〒)」が決定した。逓信省(現:総務省・日本郵政)が逓信の「てい」にちなんで甲乙丙丁の「丁」と決定し、2月8日に告知した。しかし、世界共通の料金不足マークである「T」と紛らわしいことが分かり、「丁」ではなくカタカナの「テ」を図案化した「〒」とすることが2月19日付けの官報で発表された。「郵便マーク」と呼んでいるが、正確には日本工業規格(JIS)において「〒」は「郵便記号」と呼称されており、「郵便マーク」は「〠」(顔郵便マーク)を指す。また、郵便記号(〒)は日本国独自のものであり、日本国外では郵便記号として利用することはできない。 児童生徒表彰式
鎌ケ谷市の小中学生の表彰式が7日、きらりホールで行われました。体育・文化の活動で、県レベル1位、関東レベル3位以内、全国レベル入賞にあたる成績をおさめた児童生徒が教育委員会から表彰されました。
昼休み3
恒例のジャングルジムでの撮影はたくさんの1年生が集まってきました。担任の先生となわとびの練習をしている人もいました。
昼休み2
遊具で1年生が遊んでいました。
昼休み1
昼休みの校庭では、6年生のほぼ全員で学年レクのようなもので楽しんでいました。とても楽しそうでした。
1−3国語
だれにきくのかが決まり、何をきくのかをグループで話し合っていました。校長室にも来るみたいなので楽しみです。
1−4国語
インタビューをして聞いてきたことをまとめて、クラスのみんなにお話しする学習をしていました。だれにきくのかを決めていました。
3−2書写
毛筆で漢字を書くときに、必要なテクニックを学習していました。「点」「折れ」「曲がり」「そり」など何度も何度も練習していました。
5−1算数
「ともに変わっていく数」の学習を行っていました。出題された問題に対して、「も・ず・こ・け・し」を使って、各自で考えているところでした。「も・ず・こ・け・し」って、何か聞いてみてください。
6年書き初め展 書星会賞
冬休みの宿題で取り組み、県の展覧会に出品した中で、書星会賞(特別賞をのぞき、最上位賞)に選ばれた作品です。参考にしてみてください。
6−3道徳
「希望と勇気、努力と強い意志」という内容について、「夢」と。いう資料を読んで、みんなで考えました。これから中学校に進学していく6年生にとって、とても大事な内容の学習になったことと思います
明日は何の日? 2/7
2月7日 北方領土の日
1981年(昭和56年)、日本政府が北方領土の返還運動の推進と、国民の関心と理解を深めることを目的に閣議決定にて制定。北方領土は現在ロシア連邦が実効支配している国後島・択捉島・歯舞諸島・色丹島の4島を指し、記念日の日付は日本(江戸幕府)とロシア(帝政ロシア)で最初に国境の取り決めを行った、1855年(安政元年)の「日露和親条約」の締結日(新暦)に由来する。伊豆の下田において調印されたこの条約の正式名称は「日本国魯西亜国通好条約」で、「日魯通好条約」「下田条約」とも呼ばれ、当時の日本では「日魯和親条約」と表記していた。この条約では北方領土が日本の領土として認められていた。毎年「北方領土返還要求全国大会」が東京で開催されるほか、この日を中心に全国各地で講演会や研修会、パネル展、返還実現のための署名活動など様々な取り組みが行われている。 長野の日・オリンピックメモリアルデー 公益社団法人・日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会が1998年(平成10年)に制定。1998年(平成10年)のこの日、長野冬季オリンピックの開会式が行われたことを記念したもの。長野オリンピックの理念が「自然との共生」であったことから、オリンピック後に「オリンピックメモリアルデー」として長野の自然と環境を考える日となった。記念日は「オリンピックメモリアルデー」の名称で、一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。長野県議会の場で、この日を「県民の日」に制定してはどうかとの提案が何度かなされたが、実現には至っていない。長野オリンピックは、72の国・地域から選手・役員4638人が参加し、延べ144万2700人の観客が会場に集まった。日本からは166人の選手が参加し、冬季オリンピック史上最多となる合計10個(金5・銀1・銅4)のメダルを獲得した。 下校の様子
裏門からの様子です。毎回声をかけていますが、下り坂を走ってしまう子ども、グリーンベルトをはみ出して車道を歩く子どもが残念ながらいます。画像は、ルールを守っている子どもたちです。
1−2音楽
音楽の学習で、歌の練習をしていました。
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