全国学校給食週間 1/24〜30
全国学校給食週間(1月24日〜30日)
文部省(現:文部科学省)が1950年(昭和25年)に制定。 学校給食は、1889年(明治22年)に山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧しい家庭の子どもたちに昼食を提供したことがはじまりとされています。その後、給食の取り組みは全国各地へと広がりましたが、戦争の影響で食糧が不足し、実施できなくなってしまいました。1946年(昭和21年)、戦後の食糧難が続いていた日本にアメリカから学校給食用の物資が送られ、同年12月24日に贈呈式が行われた。それ以来、12月24日を「学校給食感謝の日」と定めた。また、12月24日から、東京・神奈川・千葉の3都県で学校給食が試験的に開始され、これを記念したもの。12月24日から実施すると学校が冬休みになることから1ヵ月遅らせて1月24日から30日の一週間が「全国学校給食週間」となった。「全国学校給食週間」は、学校給食の意義や役割について児童生徒や教職員、保護者、地域住民の理解と関心を深めるための週間である。この期間中、地場産物を生かした献立や、郷土料理を用いた特別献立が多くの学校で登場する。また、学校給食作文コンクールの実施や食育に関する講演など全国で様々な取り組みが行われる。 明日は何の日? 1/24
1月24日 郵便制度施行記念日
1871年(明治4年)のこの日、「郵便規則」が制定された。同年3月1日から、東京・京都・大阪間で郵便業務が開始された。それまでは飛脚便に頼っていたが、近代郵便制度の創設者である政治家・前島密の建議により郵便制度が定められ、まず東京・京都・大阪に最初の郵便役所が創設され、営業が開始された。当時は東京と大阪間を3日と6時間かかって郵便を届けたという。その後、郵便役所はさらに横浜・神戸・長崎・函館・新潟と全国展開が図られた。また、江戸時代に地域のまとめ役だった名主に自宅を郵便取扱所とする旨を要請。1873年(明治6年)に全国約1100ヵ所の名主が郵便取扱所を快諾したことから、郵便制度は全国に拡大した。前島密はその功績から「郵便制度の父」と呼ばれ、1円切手の肖像でも知られる。また、東京郵便役所が置かれた現在の日本橋郵便局には「郵便発祥の地」の碑と前島密の胸像が設けられている。 ゴールドラッシュの日 1848年のこの日、アメリカ・カリフォルニアの製材所で働くジェームズ・マーシャルが川底にきらりと光る金の粒を発見した。仲間と秘密を誓ったが、この話は大きな噂となって全米に広まった。やがて一獲千金を夢見る男たちが殺到し、「ゴールドラッシュ」が起こった。1849年に金を求めてカリフォルニアに集まった人々はその年から「フォーティナイナーズ」と呼ばれた。ゴールドラッシュは、新しく発見された金の採掘地に人々が殺到することを意味する。マーシャルは金持ちになり損ねたが、アメリカ西部を発展させ、カリフォルニアは1年間だけで10万人も人口が増えた。これによりアメリカ合衆国の1州となり、小さな開拓地だったサンフランシスコやサクラメントは都市に成長し、パナマ地峡や大陸横断鉄道の完成を促進した。 入学説明会について
入学説明会は予定通り2月2日(木)に実施します。
日程 1 受付・物品お渡し 9:30〜10:00 2 説明 10:00〜11:15 3 物品お渡し 11:20〜 場所 中部小学校 体育館 なお、就学時健康診断の時に配布した「入学説明会開催のお知らせ」を 本ホームページ「配布文書」→「お知らせ」に掲載しました。 今日は何の日? 1/23
1月23日 八甲田山の日
1902年(明治35年)のこの日、青森県の「八甲田山」へ雪中行軍に出かけた兵士210名が猛吹雪の中で遭難した。この日は北海道・東北に大寒波が接近していた。スキーはまだ日本に伝わっておらず、雪中行軍のノウハウも知らないまま、歩兵第5連隊は八甲田山突破のため弘前を出発した。猛吹雪の中で道に迷い、寒さと空腹と疲労の中で遭難し、199名が凍死した。「為せば成る」の精神主義だけでは、大自然を相手に勝つことができなかった。この死の行軍は、1971年(昭和46年)に刊行された新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の題材となり、1977年(昭和52年)にはこの小説を原作として『八甲田山』のタイトルで映画化もされた。 今日は何の日? 1/22
1月22日 カレーライスの日・カレーの日
1982年(昭和57年)のこの日、学校給食創立35周年を記念して、全国学校栄養士協議会が学校給食試食会を実施。全国の小中学校の児童約800万人にカレーライスの給食が出された。この日を「全国一斉献立カレーライスの日」とした。1976年(昭和51年)に正式導入された米飯給食の普及にも大いに貢献し、不動の国民食としての地位を獲得した。また、カレーを製造する事業者の全国団体である全日本カレー工業協同組合がこの日を「カレーの日」に制定した。国民食と言われるまでに普及したカレーのよりいっそうの普及拡大により、健康で豊かな消費生活の実現に寄与することが目的。この日にはプレゼントキャンペーンなどのイベントが実施される。「カレーの日」は2016年(平成28年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 明日は何の日? 1/21
1月21日 料理番組の日
1937年(昭和12年)のこの日、イギリスのBBCテレビで、料理番組の元祖と言われる『夕べの料理』(Cook's Night Out)が放送を開始した。初回の放送内容はオムレツの作り方だった。この番組を担当したマルセル・ブールスタンは、世界で初めてテレビ出演した料理人となり、その後、何人ものスターが現れた。日本では1963年(昭和38年)の同じ日に日本テレビ『キューピー3分クッキング』の放送が開始された。通称は「3分クッキング」。この番組は2018年(平成30年)に55周年を迎え、日本有数の長寿料理番組となっている。日本においてさらに長い歴史を持つ料理番組としてNHKの『きょうの料理』がある。この番組は1957年(昭和32年)11月4日に放送が開始された。そして、60年以上にわたり放送されており、「3分クッキング」と並ぶ長寿料理番組となっている。 ライバルが手を結ぶ日 1866年(慶応2年)のこの日、薩摩藩の西郷隆盛と小松帯刀、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)らが土佐藩の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕のために薩長同盟(薩長連合)を結んだ。薩摩藩と長州藩は、京都を中心とする幕末の政治世界において勢力の強い雄藩として大きな影響力を持ったが、薩摩藩が公武合体の立場から幕府の開国路線を支持しつつ幕政改革を求めたのに対し、長州藩は急進的な破約攘夷論を奉じて反幕的姿勢を強めるなど、両者は容易に相いれない立場にあった。しかし、倒幕というひとつの目的のために敵対するライバルが「薩長同盟」という形で手を結んだ。そして、こうした動きが2年後の明治維新につながった。 明日は何の日? 1/20
1月20日 大寒
「大寒(だいかん)」は、「二十四節気」の一つで第24番目にあたる。現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日頃。「大寒」の日付は、近年では1月20日または1月21日であり、年によって異なる。「大寒」の一つ前の節気は「小寒」(1月5日頃)、一つ後の節気は「立春」(2月4日頃)。「大寒」には期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「立春」前日までである。「小寒」から「立春」前日の「節分」までの約30日間を「寒(かん)」や「寒中」「寒の内」と呼び、「大寒」はその真ん中にあたり一年で最も寒い時期である。この頃に各地で一年の最低気温が記録されることが多い。江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧(べんらん)』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。ただし、「小寒の氷大寒に解く」という言葉もあり、「小寒」に比べて「大寒」のほうが暖かい場合もある。この言葉は物事が必ずしも順序通りにいかないことの例えとして用いられる。武道ではこの頃に精神を鍛錬するための「寒稽古」が行われる。また、寒気を利用した食物である凍り豆腐や寒天、酒、味噌などを仕込む時期でもある。「大寒」の朝の水は一年間腐らないとされており、容器などに入れて納戸に保管する家庭もある。この他に、この日に産まれた卵は栄養価が高いなどと言われる。 二十日正月 正月の祝い納めをして、「小正月」の飾り物を納める日。飾りにつけた団子をこの日に食べる地方もある。この日をもって正月の行事は終了する。正月料理の鰤(ぶり)や鮭もこの頃には頭と骨しか残っておらず、それを汁物や煮物に仕立て、最後のご馳走にして食べることから、西日本の各地では「骨正月」「頭正月」ともいう。他の地方でも、「乞食正月」(石川県)、「棚探し」(群馬県)、「フセ正月」(岐阜県)などと言って、正月のご馳走や餅などを食べ尽くす風習がある。 明日は何の日? 1/19
1月19日 家庭用消火器点検の日
東京都中央区新川に事務局を置き、防火・防災意識向上のための啓発・普及などの事業を行う一般社団法人・全国消防機器販売業協会(全消販)が1991年(平成3年)10月に制定。日付は「1」と「19」で消防機関への緊急通報電話番号「119」となり、11月9日は消防庁が定めた「119番の日」であるため、1月19日を記念日とした。「消火器」は、一般住宅におけるもっとも手軽な初期消火設備である。家庭用の消火器をよく知ってもらい、家庭での点検、使い方などの認識を高めてもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。 のど自慢の日 1946年(昭和21年)のこの日、NHKラジオの「のど自慢素人音楽会」が始まったことを記念して日本放送協会(NHK)が制定。初めての聴取者が参加できる娯楽番組であった。第一回の予選では、モンペや復員兵スタイルの人が朝早くから900人も集まった。予選通過者は30人で競争率は30倍。人気のあった曲は「りんごの唄」「旅の夜風」「誰か故郷を思わざる」などだった。当初は鐘もなく、司会者が口頭で合格者に「合格です」、不合格者には「けっこうです」と告げていた。この日は「のど自慢の日」であるとともに「カラオケの日」ともされる。 1/18 授業参観日
1月18日水曜日は、授業参観日です。
時間は、1〜5年生、2時間目 9時30分〜10時15分 ※授業が終了したら、すみやかに退出し、外に出てください。 ※3時間目の参観者は、10時30分のチャイムが鳴り、児童が校舎内に入ってから、校舎内に入ってください。 3時間目 10時35分〜11時20分 6年生、3・4時間目 10時35分〜12時10分 ※家を出る前に、検温を行い、健康チェック表をご持参ください。 明日は何の日? 1/18
1月18日 都バス開業の日
1924年(大正13年)のこの日、東京市営の乗合バスが営業を開始したことを記念して東京都交通局が制定。前年の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により、東京市が運営していた東京市電は大打撃を受け、復旧には相当な期日がかかることが見込まれたため、市電の代替輸送機関として乗合バスが導入された。最初に開通したのは「巣鴨駅から東京駅」「中渋谷駅から東京駅」の2系統であった。バスはT型フォード11人乗りで、「円太郎バス」という愛称で呼ばれた。これは車体が明治初期の「円太郎」と呼ばれていた乗合馬車を連想させたことに由来する。 118番の日 海上保安庁が2010年(平成22年)12月に制定、翌2011年(平成23年)から実施。海上保安庁への緊急通報用電話「118番」を広く知ってもらうための活動が行われる。「118番」は、2000年(平成12年)5月1日に運用を開始し、10周年目に記念日とした。同じ緊急通報用電話番号でありながら、「110番」や「119番」に比べて低い「118番」の知名度を高めることが目的。第1回のこの日には「通信指令室」に相当する「海上保安庁運用司令センター」が報道関係者に公開された。 明日は何の日? 1/17
1月17日 防災とボランティアの日
1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災にちなんで制定された記念日。1995年(平成7年)12月の閣議で記念日の制定が決定され、翌1996年(平成8年)から実施されている。災害に対する自主的な防災とボランティア活動の認識を深め、災害への備えの充実を図ることが目的。 阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震は、1995年1月17日の午前5時46分52秒に発生した。震源は淡路島北部沖の明石海峡で、深さ16km、マグニチュード7.3であった。また、戦後初の大都市直下型地震で、最大震度7の激震が適用された。死者は6434人、行方不明者は3人、負傷者は4万3792人、全壊・半壊した家屋は約25万棟で、兵庫県を中心に大阪府や京都府など近畿圏の広域で大きな被害を出した。この日には発生時刻の午前5時46分に合わせ、被災各地で追悼行事が営まれる。震災の際、学生を中心とした多くのボランティアが活躍したことから、1995年は日本の「ボランティア元年」とも呼ばれる。1月15日〜21日は「防災とボランティア週間」となっている。この週間には、災害時におけるボランティア活動や自主的な防災活動の普及のための講演会・講習会・展示会などの行事が実施される。震災から11年目の2006年(平成18年)に兵庫県が1月17日を「ひょうご安全の日」に制定している。 明日は何の日? 1/16
1月16日 薮入り
「薮入り(やぶいり)」は、かつての奉公人の休日。 かつて町屋(商家)などに住み込んで奉公していた丁稚(でっち)や女中(じょちゅう)などの奉公人が、主家(おもや)から休暇をもらい実家へ帰ることのできた日。「宿入り」「宿下がり」「宿降り」ともいい、お盆の休暇(7月16日)は「後(のち)の薮入り」という。奉公人たちは毎年1月16日と7月16日の2日しか休みがもらえないのが一般的だった。 「薮入り」の習慣が広がったのは江戸時代で、1月15日が「小正月」で重要な祭日であり、奉公人は奉公先で行事を済ませた上で休日をもらい、実家でも行事に参加することができた。語源は「薮深い里へ帰ることから」など諸説ある。 明日は何の日? 1/15
1月15日 小正月
1月1日の「大正月(おおしょうがつ)」に対して、1月15日を「小正月(こしょうがつ)」という。 この日の朝には米と小豆を炊き込んだ「小豆粥(あずきがゆ)」を食べる習慣があり、早朝に食べることから「あかつき粥」などとも呼ばれる。また、地方によっては餅花(もちばな)や繭玉(まゆだま)を飾る。「小正月」の伝統行事として、左義長(さぎちょう:日本各地)、なまはげ(秋田県)、あまめはぎ(石川県・新潟県)、かまくら(秋田県や新潟県など降雪地域)などがあり、行事を通して病気や厄災を払ったりする。かつて「元服の儀」を「小正月」に行っていたことから、1月15日は「成人の日」という国民の祝日となった。「成人の日」は2000年(平成12年)から1月の第2月曜日に変更されている。 警視庁創設記念日 1874年(明治7年)のこの日、東京警視庁(現:警視庁)が創設された。 創設者は近代警察の基礎を作ったといわれる川路利良(かわじ としよし)で、フランスの政治家ジョゼフ・フーシェに範をとったフランスの警察制度を参考に日本の警察制度を確立した。川路は、初代大警視(現:警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築したことから「日本警察の父」と呼ばれる。 明日は何の日? 1/14
1月14日 タロとジロの日(愛と希望と勇気の日)
タロとジロの生存が確認された日。 1959年(昭和34年)のこの日、南極観測船「宗谷」から飛び立ったヘリコプターが南極の昭和基地に着いた時、南極観測隊に同行し、前年に置き去りにされた15頭のカラフト犬のうちタロとジロの2頭が生きているのが発見された。この出来事は映画『南極物語』にもなり、後世に残そうと記念日が制定された。この日は「タロとジロの日」または「愛と希望と勇気の日」と呼ばれる。生きることへの希望と愛することを忘れないための日とされる。ジロは1960年(昭和35年)7月9日、昭和基地にて5歳で病死。ジロの剥製は東京・上野の国立科学博物館に置かれていた。タロは1961年(昭和36年)5月4日に4年半振りに日本に帰国。その後、札幌市の北海道大学植物園で飼育され、1970年(昭和45年)8月11日に老衰のため14歳7ヵ月で没。1983年(昭和58年)、タロとジロの生存劇を描いた映画『南極物語』が制作され、翌年公開された。この映画の影響もあり、タロとジロの剥製を一緒にさせてあげようという運動が起き、国立科学博物館の特別展などでタロとジロの剥製が共に展示された。愛知県名古屋市港区のガーデンふ頭には、タロとジロの銅像が建立された。このふ頭には南極観測船「ふじ」のプロペラや実際に活躍した雪上車なども展示されている。
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