本校の沿革

 本校は昭和45年4月に鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小学校から分離した学校です。 開校当時は1〜4年生までの各3学級、計12学級で、児童数は440名、教職員14名でスタートしました。  鎌ヶ谷市のほぼ中央に位置し、緑地と住宅に囲まれた落ち着いた環境の中にあります。学区は道野辺(丸山を含む)・東中沢・北中沢・受所の4つの地区に分かれております。道野辺地区は商店・住宅地が多くあります。一方、東中沢・北中沢地区は住宅地が中心ですが、所々に自然を残した環境にあります。  児童数は、創設より増加傾向にありましたが、一時期人数は横ばいとなり、現在は、近辺の宅地開発などにより、また増加傾向にあります。  児童は明るく元気でのびのびとしております。反面、自主性・協力性・ねばり強さにやや欠けており、人・物・自然とのかかわりが薄いという点が見られます。そこで学校・家庭・地域が一体となって「生きる力」の育成を図っております。  具体的活動としては、学校行事での地域交流や、子どもたちの地域行事への参加を通して、地域との積極的交流を行っております。また、地域の自然に触れながら、環境問題などに追究を図り、地域の自然や風土を大切にしようという意識が芽生えつつあります。  保護者は教育に関心が高く、学校にもたいへん積極であり、PTA活動も盛んに行われております。  中部小があるこの地には、むかし梨畑がありました。その梨畑に生まれて30余年の歳月が流れておりますが、これからも梨のように実り多い学校生活になるようにしてゆきたいと思います。

校章の由来
校章

昭和46年制定  制作 鯉沼政司 氏


校章は開校2年目の昭和46年に「中部小のシンボルを作ろう」ということで、公募によって決められました。約50点の応募があり、その中から当時PTA副会長をされていた鯉沼氏の作品が選ばれ、制定されました。  中部小学校は梨畑を整地して建設されたので、梨の花(市の花でもあります)をイメージしてできています。また「中部小」の文字は、印鑑で使用される文字を用い、それをやや丸くつなげることによって「みんな一致で団結しよう」という作者の願いが込められています。中部小の「小」の字は、本校が鎌ヶ谷市立であることから、草を刈る「鎌」のイメージが象られています。

校歌の由来

昭和46年制定  作詞 松浦暁子 氏  補作 村崎 勇 氏  作曲 天田 繋 氏

校歌は開校2年目の昭和46年に制定されました。30点ほどの応募があり、その作品の中から、松浦暁子氏の作詞が選ばれました。
鎌ヶ谷の中心に位置し、しかも緑豊かな中部小学校の子どもたちが「やさしさ」「勇気」「愛」を身につけ、大空に羽ばたいてほしいという願いが込められています。